憲法24条研究ノート(11)君塚教授の結論を検証する

君塚一臣横浜国立大学教授の論文紹介の最終回。
2002年の君塚教授の結論は、どこまで正しかったか?
foresight1974 2021.07.28
誰でも

こんばんは。
今週で、長く連載してきた君塚教授の論文紹介について、いったん最終回にします。

<参考論文>
君塚正臣「日本国憲法24条解釈の検証ー或いは『「家族」の憲法学的研究』の一部として」関西大学法学論集52巻1号(2002年)

2002年時点の「結論」

君塚教授は、網羅的に24条に関する憲法学説を紹介・検証したうえで、次のようにまとめます。

憲法学説は、当初、それまで私法の領域と信じてきた「家族」が憲法典に上ったことに戸惑いを見せた。そして、二四条には権利性がない、同条は分類不能であるという拒絶反応が生じた。人権の発展法則等からこれを社会権、または現代国家的に修正された経済的・社会的自由権などとする見解も多数現れたが、現在では勢いがない。圧倒的に二四条を平等権の特別法的なものとする立場が採られることとなったが、これまで考察してきたように、特段の論争もなく、多くの学説がここに漠然と帰着したという感は拭えない。実際に多くの学説は、一四条を平等権の解釈の中で家族関係の諸問題を解いてきたと言ってよいのである。そして、現実には、二四条の非常に短い射程、二四条の無力感の中で、或いはこれを根拠とする「家族」の保護を理由とする差別の黙認も生じさせてきたのである。
前掲君塚論文P.35
これに対して、近似の学説は二種類の打開策を打ち出し始めていると言ってよい。包括的基本権全体の特別法的位置づけを志向する立場と、「結社」の一場面であることを重視する立場がそれである。これらの試みはまだ始まったところであろう。だが、もしこれらの試みの何れかが成功を修め、二四条の読み方が変更されるならば、人権体系全体の読み方に影響を及ぼす可能性がある。
同上

一方、民法学の動きについては、次のように述べられます。

民法学においても、憲法二四条の解釈論はこれまで展開が十分になされてきたとは言い難い。当初はそれが当然に戦後民法とマッチしたものと信じられてきたからであり、立憲過程や憲法学界の議論をみてわかるように、その中身が詰められるような議論はない、もしくは意図的に避けられたと思えたからである。そうなれば、実定法学にとって憲法条文は祟りなき神託になる。ましてや民法は私法である。お題目はさておき、より現実に意味のある民法条文の解釈に進む、という姿勢が強まったのも理解できないではないのである。
前掲君塚論文P.46
だが、戦後家族の動揺が生まれ、果たしてそれが万人にとっての当然の理想だったのかが問題提起されるようになると、眠っていた憲法二四条が叩き起こされるような状況になってきた。その目に映ったものは何であったろうか。何れにせよ、民法学でその傾向を示す世代が、憲法学における新しい二四条解釈を示す世代とほぼ一致するのは、単なる偶然ではあるまい。言うまでもなく、特定条文の机上の理論が変化する以上の変化が起こることは、最早予言してよい段階にはきているものと思われる。
前掲君塚論文P.46~47

そして、「おわりに」と題されたまとめにおいて、君塚教授は、憲法学説は、単に家制度の否定という点に意義を強調してきた傾向が圧倒的に強く、民法学においても、それを所与として議論を進めてきた。その結果として、「憲法二四条は、そのような解釈の空き地として取り残されてきたのである。」とされます。(P.47)

しかし、経済発展の変化による家族形態の多様化が、「近年に至り、法学界の各方面からも、時代状況に合わせるが如く、それまでのような学界状態を揺り動かす主張が現れてきたのである。」こうして、「憲法二四条は、意味ある憲法規定としてようやく認知され始めた段階にあるのである。」

しかし、君塚教授は拙速を戒めます。
家族の位置づけが代われば、福祉や労働、教育、居住・移転の自由、プライバシーなど憲法上の扱いが微妙に影響してくる、13条の幸福追求権の中身、自己決定権に関する議論に影響を及ぼす。また、14条と24条が衝突するケースも想定されます。家族に関する国家の役割、これまでの経緯を尊重して謙抑的になるのか、それとも公的介入を是とするのか、民法学にも及ぶ影響も指摘されます。
また、その検討は、法学的見地からではなく、家族社会学の知見を取り入れることの必要性まで指摘されます。

「ゆっくり進むことにしたい」というのが君塚教授の2002年時点のまとめでした。

「長く真空のようであった、「家族」の憲法学的考察はようやく始まったばかりである。」(P.49)

2021年から見直してみると。。。

この論文を2021年4月号「法学教室」誌上にてご紹介された曾我部真裕京都大学教授は、論文を「有益である」と評価されています。
確かに有益でした。いろいろな発見がありました。

君塚論文を読み進めながら、図書館で紹介された学者の文献を読みました。
確かに、、、うっすいですよね。

芦部教授の文献もいろいろ探してみたのですが、24条については、本当に薄い。

ただ、これは君塚教授のご指摘とも重なるのですが、いくつか事情が重なっているように思います。

①当初の憲法学者たちは、戦後の大改革となった24条制定と家制度の廃止でおおむね政治的に満足できる状況になった。まだ多く残された家制度の残滓の払拭までは、至らなかった。

②条文上の文言の重なりが大きく、条文配置上の不自然さはあっても、24条は14条の特則と読むのが自然だった。

③①と関連するが、戦後の男女平等論の展開は、巨大保守政権に対峙しながら、家制度の残滓を払拭する、つまり形式的平等の推進が主眼となっていた。

④②と関連するが、男女平等に関する多くの憲法訴訟は14条を中心に展開され、24条独自の意義を見出し得る憲法訴訟が登場しなかった。特に日本の憲法学は、憲法訴訟に対応した解釈学を中心として展開したため、24条の理論的検討が大きく遅れた。

ひとえに時の経過を待たなければならなかったと思います。

この後の連載でご紹介していきますが、2008年の国籍法違憲判決を嚆矢として、24条を問う憲法訴訟が活発になります。

その結果、君塚教授が2002年に予想した憲法学説の展開、つまり、平等権説から発展するという学説の展開は、だいぶ異なった展開を見せることになります。
社会権説も復権しますし、自由権説も新しい議論が誕生します。
また、「基本権の内容形成」という新しい概念も誕生します。
もちろん、預言者でもなければ、こんなことは不可能ですが。。。

「ゆっくり進もう」と決められた君塚教授にとっては、予想はだいぶ外れはしたものの、悪い展開ではないように思えますね。

(この連載続く)

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