水野家族法学を読む(25)「不貞行為の相手方に対する慰謝料請求権②」

不貞行為の相手方に対する慰謝料請求権を否定する水野教授の論理。その背景にあった司法制度全体に対する視点とはー。
foresight1974 2022.05.21
誰でも

【前回】

前回、思わせぶりなところで止めてしまいましたが、もう1つの論文を題材に、続きをみていきましょう。

<参考文献②>
水野紀子「不貞行為の相手方に対する慰謝料請求」山田卓生先生古稀記念・円谷峻・松尾弘編『損害賠償法の軌跡と展望』日本評論社133-153(2008年)

一罰百戒的な不法行為法の運用

論文の冒頭、水野先生はこのように述べます。

日本法においては、家族法領域に一般法である不法行為法が大きく流れ込んでいる。公的なコントロールのまったくない協議離婚制度に代表されるように、本来、家庭内の弱者保護を果たすべき日本の婚姻法・離婚法に不備があることが、不法行為法の流入をもたらした一因であったろう。一般的には家庭内の被害や不正義が法的に放置されている反面、家庭が崩壊する場面であまりに気の毒な立場に追い込まれた当事者が、裁判所に不法行為に基づく慰謝料請求を提訴すると、判例は、当事者を救済するために慰謝料請求を認容することをためらわなかった。財産分与という離婚給付が戦後改正で立法されるまで、慰謝料が唯一の離婚給付の法的構成であり、財産分与立法後も財産分与概念の硬直化によって、慰謝料構成は離婚給付として利用され続けてきている。
<参考文献②>P.133
また判例は、不法行為法の利用を婚姻関係に限ることもしなかった。婚姻法の枠を超えた拡大は、内縁不当破棄や婚姻予約不履行に基づく慰謝料請求を承認することにとどまらず、婚姻予約の非常に緩やかな認定へと拡大した。社会における女性の地位が低かった日本で、性的関係をもつことが女性にとって大きなダメージを意味する一方、性的暴力や性的搾取への刑事的・行政的制裁は極めて不十分であり、非嫡出子の養育費請求などの民事的救済手段も、男性に捨てられた女性と子が実際に利用できるものではなかった。このような背景のもとで民事的な慰謝料請求が法廷に現れたとき、判例はいわば一罰百戒的な効果を期待して、抽象的には過剰に多くのケースをカバーし得る幅広い要件のもとで、裁判官が広範な裁量権をもって当事者間の関係を詳細に設定して、救済の必要な女性に慰謝料請求を承認してきたといえるであろう。
同P.133~134
さらに判例は、慰謝料請求の原告・被告を、婚姻関係・男女関係の当事者同士の間に限定することもしなかった。夫婦関係が破綻したときに、家庭崩壊の原因をもたらしたことを理由に第三者に対して慰謝料を請求する事件としては、かつては離婚された妻が夫の両親等の家族を相手方として請求する事件もみられたが、近時は、不貞行為の相手方である第三者を被告として請求する事件が主流である。日本社会の産業構造が変化して息子家族の経済的独立性が高まることによって、夫の両親等の家族による夫婦関係への介入が原因で夫婦関係が破綻する事態は減少し、またかりに家族の介入によって夫婦関係が崩壊したとしても、介入を許した配偶者自身の責任がより直接的であると考えられるようになったために、家族を被告とする請求事件が目立たなくなったのだろう。しかし不貞行為の相手方に対する請求は、実際に多くの蘇張が提起される事件であり、本稿ではその類型を対象として論じる。
同P.134
本来、民法はすべての当事者間にまんべんなく適用されることを前提として、対立する法益間の調整に一定の基準をもたらすことによって当事者間の利害を調整する規範である。しかし欧米の離婚法と異なって、裁判所を経由しない協議離婚というきわめて特異な離婚を原則とする日本法では、離婚に関する裁判規範は例外的な基準であり、強者が自己の主張を一方的に実現しがちな協議離婚の実態に対して、道徳的な規範を提示して一罰百戒的な効果を期待するものとなる。このような裁判規範の形成が多い日本家族法では、民法の通常のあり方とは異なる規範が形成される傾向にある。そしてそのような請求権が緩やかな提訴要件で認容されていることの弊害は大きい。過剰な負担にあえいでいる裁判所は、事案の詳しい審査をして認容しない理屈を考えるよりも、機械的に請求を認容しがちであり、実際の事件の解決としても不適当なケースが頻出する。本稿の対象とする不貞行為の慰謝料請求の問題もその一例である。
同P.134~135
一般法としての不法行為法は、その多様な領域への浸透力によって、法の不備を補い、新しい課題に対応できる生命力をもつ、いわば植物の生長点に当たるような民法領域である。その生命力を安易に削ぐような法解釈は極力控えなくてはいけないが、その適用の限界を解釈によって整理していくことも、民法学の重要な役割であろう。
同P.135

最後の段落の比喩は、いささか感傷に過ぎるように思われますが、不貞行為の相手方に対する慰謝料請求訴訟という訴訟類型は、協議離婚制度を原則とする日本の家族法システムでは、一罰百戒的な運用(つまり、すべての人に等しく保障される請求にはなってない)であり、裁判所の機械的な審理が、具体的妥当性に欠けた解決が頻出していることが指摘されています。

平成8年、判例は変更されたのか

そして、水野教授この論文の前半部分で主に問題にしているのが、平成8年の最高裁判例です。

しかし、最高裁平成8年3月26日判決民集50巻4号993頁(以下、平成8年判決として引用する)は、「甲の配偶者乙と第三者丙が肉体関係を持った場合において、甲と乙との婚姻関係がその当時に既に破綻していたときは、特段の事情のない限り、丙は、甲に対して不法行為責任を負わないものと解するのが相当である。けだし、丙が乙と肉体関係を持つことが甲に対する不法行為責任となるのは、それが甲の婚姻共同生活の平和の維持という権利又は法的保護に値する利益を侵害する行為ということができるからであって、甲と乙との婚姻関係が既に破綻していた場合には、原則として、甲にこのような権利又は法的保護に値する利益があるとはいえないからである」と判示して、この不法行為請求権の根拠を「婚姻共同生活の平和の維持」という権利ないし法益に対する侵害として表現した。もっとも最高裁はこの表現によって婚姻関係破綻後の不貞行為は不法行為とならないとは判断したものの、このことが同時に、家庭破綻に到らなかった不貞行為の場合に「婚姻共同生活の平和の維持」が保たれたという理由で不法行為にならないと判断することを意味するかどうかは、定かではない。
同P.136

これを受けて、近時の学説は、「昭和54年判決と平成8年判決の関係をどのように解するか、また不貞行為があればすべての場合に慰謝料請求権が発生するわけではないことを前提にして、どのようにその範囲を画するかについて議論の焦点が移っている」と分析されています。

その非常に興味深い議論の数々は、主に<参考文献②>P.137~P.138に展開されていますが、水野先生は、そこにある共通認識を見出します。

以上のような最近の議論は、昭和54年判決を契機に行われた頃の学説の議論とは異なり、この請求権の弊害がなにより大きいのは家庭破綻に到らない不貞行為であった場合であることを共通認識としているように思われる。不貞行為は裏切られた配偶者に大きな精神的傷を与え、結果として家庭崩壊に到らなかったとしても、その破綻のもたらす危険性は非常に大きい行為である。しかし家庭破綻に到った不貞行為の場合には、特に被告が配偶者と事実上再婚しているような場合には、実質的には配偶者への請求権となる請求権となるので、日本家族法の弱点を補う機能をもちうるため、家庭破綻に到らなかった場合よりも、慰謝料請求権を認めることの弊害はたしかに少ない。この請求権の最大の弊害はなんといっても家庭破綻に到らなかった場合にあり、この場合には、夫が原告になる場合は売春や脅迫の手段となり、妻が原告になる場合は非嫡出子への対抗手段として強制認知を抑圧する効果をもつ。この弊害について学説の共通認識が形成されてきたことは、好ましい展開であろう。
同P.138~139

とはいえ、不貞行為の相手方に対する慰謝料請求権を否定する水野先生の立場からは、そもそも昭和54年判決にも平成8年判決にも批判的です。否定説からは、(1)貞操義務違反として慰謝料を認めることが、理論的には、配偶者間に物権的な人格的支配権を認めることにつながること。(2)事実認定の難しさです。
ただ、これらの否定説から指摘される批判に対しては、理論的な限界も認めておられます。(<参考文献②P.139~141)

どこが利益を調整するべきなのか

ここで水野先生が持ち出すのがフランス法です。
英米法的なコモン・ロー諸国では、この種の請求権が立法で制限・禁止されてきているのと異なり、フランス法がこの慰謝料請求権を最もよく維持してきた、と述べておられます。

しかし、フランス法の判例でも 2001年7月5日、破毀院が不貞行為の相手方に対する慰謝料請求権を否定し、学説の間で、それをどう理解するかが議論になりました。
その際の視点として、契約法と対比して判決を論じていることだと、水野先生は指摘されます。

すなわち債権法における契約侵害と、不貞行為による夫婦間の貞操義務侵害とが並列して論じられている。債権法における契約侵害であれば、第三者が契約の存在について悪意ならフォートになるとして契約の相対性を認めなかった破毀院2001年7月18日判決が、この直後に下されたこともあって、それと一致しないあるいは不均衡があるという議論である。契約の第三者効が異なるという相違を説明する理由として、貞操義務は法定債務であるという理由などが提示されている。しかしそもそも貞操義務違反は、夫婦間でも婚姻を契約として考えて債務不履行としてフランス民法1147条の問題とされるのではなく、同212条の貞操義務は婚姻の制度的な側面に結びついていることから同1382条の不法行為の問題とされていたものであり、ここでも貞操義務という特別な債務の性質によると考えるべきであろう。この債権侵害として発想する考え方は、後述するように、日本法において不法行為法と架橋する解釈論を考えるときの参考になるように思われる。
同P.144~145

水野先生は、離婚時の離婚給付について、日本家族法が非常に弱体であることを認めつつも、それでも慰謝料請求権を不法行為法として処理することに批判的であり、あくまで家族法の領域に委ねるべきという立場を取ります。
しかし、例外的に、裏切られた配偶者の法益侵害が、家族法の領域を超えて、不法行為法の保護対象になるようなケースがあるともされ、その時の法的構成が債権侵害という考え方なのです。
(同P.147)

この説明は、前回ご紹介した<参考文献①>のロジックとかなり説明を変えていますが(水野先生も<参考文献②>P.139~140でそのことを認めておられます。)、基本的な立場は変えていません。
なぜ、不法行為法による処理にここまで批判的かというと、冒頭に述べたように、その運用が一罰百戒的になるからです。
この論文の終盤に、「民法の規定を適用することによって、まずまんべんなく確実に救済することがもっとも必要である。」(同P.149)と述べておられるのは、不貞行為の被害者救済が「まんべんなく」果たすことができるのは、不法行為法による個別裁判ではなく、家族法の網にかけることだとお考えになっているからです。

最高裁平成31年判決の評価をめぐって

さらに、水野先生は次の論文で、最近の最高裁判例について次のように述べておられます。

<参考文献③>
「不貞行為の相手方への慰謝料請求―最判平成31年2月19日民集73巻2号187頁の評価―」法学84巻3・4号184-201頁(2020年12月)
https://tohoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=132621&file_id=18&file_no=1

平成31年判決は、「当該第三者が、単に夫婦の一方との間で不貞行為を及ぶにとどまらず、当該夫婦を離婚させることを意図してその婚姻関係に対する不当な干渉をするなどして当該夫婦を離婚のやむなきに至らしめたものと評価すべき特段の事情のあるとき」には、第三者の干渉が婚姻関係に対する不法行為と評価しうる場合があることを認めた。この「特段の事情」とは、どのような内容と解すべきであろうか。最大限に拡大解釈すれば、離婚後に被告と再婚する略奪婚の場合は、「特段の事情」にあてはまるという解釈があり得るかもしれない。しかしこの解釈は、難しいだろう。夫婦の関係は夫婦の意思により「本来、夫婦の間で決められるべき事柄」とする判決の判断に基づくと、従来よりもはるかに限定された、ごく例外的な場合であることはたしかだからである。「特段の事情」となりうる可能性を広く採ると、認められる可能性を求めて訴訟は減らず、不法行為の成立を限定した意味がなくなってしまう。「特段の事情」が認められる例外的な場合として、ストーカーから脅迫行為まで常軌を逸した加害行為を想定することはdけいる。しかしここでは、むしろ、現在では想像できないような「特段の事情」が生じる可能性を考慮して、その場合への備えを留保しておいた、最高裁の未来への慎重さであると考えたい。性にまつわる領域は、人格の根幹にかかわるものであり、その保護も常識も構成も、現在の想定を超えた展開がありうると思われるからである。
<参考文献③>P.199~200

そして、この論文の最後、水野先生はこんなエピソードを紹介してくださっています。

回想

昭和54年判決は、筆者が助手であった若い頃に、東京大学民事法判例研究会において報告した判例である。否定説に立って報告をした時点では、活字になった慰謝料請求否定説は、まだ存在していなかった。研究会の議論では、肯定説の立場の星野英一教授は「貴女はまだ若くて独身の強い女性だからそういうことを言うけれど、年をとって結婚をすれば意見は変わるでしょう」と言われ、やりとりを聞いていた唄孝一教授は「この問題は、価値観のリトマス試験紙ですね」と面白そうに言われた。指導教官であった加藤一郎教授は、否定説に賛成してくださって、「貴女の影響を受けちゃった」と笑って、研究会直後に執筆された家族法判例百選(第三版)で、否定説に改説された。恩師たちのそのようなお声やご様子は、いまだに記憶に鮮やかだが、それから40年余りが過ぎて、三人とも鬼籍に入られてしまった。
<参考文献③>P.200

当代一流の三先生の感想を、水野先生は悪からず思っているようですが、それにしても、「記憶に鮮やか」という表現は興味深い。

水野先生は、研究会の席上で笑われたこの時のお気持ちについて、多くを語っていませんが、この2年後、離婚給付に関する長文の論考を著されています。

(この連載つづく)

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