水野家族法学を読む(17)「宿題は"逃げ恥" 婚姻の成立要件」

今月号から、水野先生の連載は婚姻法に入ります。
末尾に出された宿題はあの人気ドラマから!!
foresight1974 2021.08.03
誰でも

こんばんは。
今週号はいつものように、先月28日に発売された法学教室2021年8月号「日本家族法を考える」の連載記事の内容をざっとレビューします。
今月から婚姻法です。

<参考文献>
水野紀子「日本家族法を考える 第5回 婚姻の成立を考える」法学教室2021年8月号(有斐閣)99頁以下

法律婚主義と事実婚主義

まず、この用語の説明からですね。

【法律婚主義】
法の定める婚姻成立手続きをとった夫婦を婚姻と扱う立場

【事実婚主義】
そのような手続きをとらなくても事実上夫婦として暮らしていたら婚姻と扱う立場

ただし、これらの言葉は多義的に用いられるので注意が必要とのことで、様々な婚姻慣習について紹介されています。

ここから、水野先生はかなりのスペースを割いて、明治維新以降、法律婚主義の確立をいつとみるかについて、見解の対立について解説されています。
これは、すでに連載で述べてきているように、水野先生が、明治以来十分に理解されないままできた西欧の家族法・家族観を見直し、それと意識的・無意識的に存在する家族法観とを対比する立場、いわゆる西欧法対比説に立たれているからと考えられます。

<法制史学>
①明治8(1875)年12月9日太政官達第209号
 双方の戸籍に登記しないうちは婚姻とは認めない

②明治10(1877)年6月19日司法省丁第46号達
 近隣の者などが夫婦と認め、裁判官も認めた場合は、夫婦として扱う

この両達の解釈と両者の関係、そして明治前期の判例から、それらが法律婚主義か事実婚主義かについて、学説が多岐にわたって対立している。

<民法学>
①は、統治のための行政的な施策であって、明治31(1898)年の明治民法施行前は事実婚主義であったという理解が一般的。

<水野先生の分析>
①法律婚主義に基づく、国家が法律婚の効果を強制あるいは提供する体制が整ったのは、明治民法の施行から

②明治民法施行前のように、婚姻の届出を強制するお達しを出す建前の一方で、具体的ケースには是々非々で対応する解釈姿勢は、後の中川理論(内縁準婚理論)の下地になったように思われる。

③民事法における国家法と自由の領域についても、西欧近代法が前提とする理解と異なる、民法を知らない律令国家であった東洋法の発想が底流にある。その例証として、次の2つの文献を挙げられます。

「新版注釈民法」(1989年)
婚姻の成立手続は、非合法な禁圧さるべき男女関係=私通と合法な許容された男女関係=婚姻を区別するためのものでもあった。しかし、届出前の男女関係をすべて不法とはいえなくなる。判例・学説とも、早くから届出のない夫婦関係の合法性を認め、内縁関係として保護してきた。そして、届出に伴うべき婚姻意思の内容について、実質的意思説と形式的意思説の対立に示されているように、共通の理解が存しないところでは、合意に基づく男女関係であれば、社会通念上の夫婦関係でなくても、一概に不法だと決めつけることはできなくなる。届出の有無によって男女関係の合法・非合法を決めることはできない」(上野雅和)
⇒婚姻以外の男女関係は「非合法」「不法」とされ、自由の領域がない。

「新注釈民法」
1980年代後半から、自分たちの意思で婚姻届を出さない共同生活を選択するカップルが社会的に広がり始めた。がこのような事実婚カップルも自ら婚姻の外で生活すること選択したことは、法的解決を一切拒否することを意味していない。法は特定の家庭生活、例えば、婚姻だけを保護するのではなく、どのようなライフスタイルであれ、営まれる家庭生活の実態に即した価値中立的な法的処理、生活保障をしなければならない。(二宮周平)

(水野先生)
前者は事実婚を不法とするのに対し、後者は事実婚に柔軟な法的効果を認めて承認するもので、対極的にみえるが、前者は明治8年のお達しを受け継ぎ、後者は明治10年のお達しを受け継いで大岡裁きを肯定し、両者ともに裁判所を含めた国家権力に限界を画する法の役割を無視ないし軽視している。

しかし同時に、水野先生は、「法律婚主義は法が法律婚を自由に制度設計できることを意味するものではない。婚姻の自由は最大限に保障されなければならず、その成立は不当に制限されてはならない」とし、2021年6月23日に民法750条について最高裁判所が合憲と判断したことを強く批判されています。

届出による法律婚主義<形式的要件>

婚姻の成立について、まず、水野先生はフランス法を例に西欧法では厳格な手続きであることを指摘されます。

これに対し、日本法の戸籍届出は、「はるかに簡略」であると評価され、明治民法成立前は母法にならって厳格であった手続が、明治民法以降、手続が大幅に省略された内容を解説されています。これによれば、本人の署名といっても、代理人が届け出れば足りるとされ、代筆も受理されてしまえば有効になります。

「親族登録と住民登録と国民登録の強力な機能を持つ戸籍制度は、創設されて以来、ときには民法の規定をも弾き飛ばす、強力な自走力をもってきたのである。」(P.101)

また、かつてはプライバシーという発想はかけらもなく、戸籍は公開原則の下で運営されてきました。しかし、「氏を変えて消費者金融のブラックリストから逃れるために虚偽の婚姻届や養子縁組届を提出すような被害も増えた」。虚偽の届出は、公正証書元本等不実記載罪(刑法第157条)に該当するものの、立件されるのは例外的であり、意思に反して届出された当事者が事後的に裁判所で争う大きな負担を負わなくてはならない、と指摘されています。

また、届出意思はあるけれども、実質的にその行為を行う意思がない場合に、婚姻は無効(最判昭和44年10月31日)とするが、離婚は有効(最判昭和38年11月28日)など、その行為ごとに対応を変えているが、「これらの届出による身分行為は、もともとは家制度下で、両家で相談した家のメンバーのやりとりを事後的に届け出るという、家族法の究極の私事化といえる制度であり、(西欧法でみられるような)意思確認等の公的な介入契機がないことが問題の根本にある」と指摘されます。

これと類似の問題として、「無効の追認」(届出意思はないが、その届出が意味する生活の実態があるケース)も水野先生は論じられます。最判昭和42年12月8日(離婚のケース)や、最判昭和47年7月25日(婚姻のケース)などで離婚の追認が承認されていますが、水野先生は、よほどの明白な追認行為がなければ、追認は認められないとする立場に立たれています。

これらの関連論点を期末試験に出すことで、水野先生がお気に入りとしてご紹介されているのが、横浜地判昭和51年7月23日(判例タイムズ347号273頁以下)が紹介されているのですが、民放のメロドラマになるんじゃないかというくらい、ドロドロ事案ですが。。。

<事案>
夫Y1、妻X

昭和11年
同棲を始める

昭和18年
婚姻届出を出すが、Y1に届出意思はなかった
(Y1の母親が、息子に無断で届出をなし、X・Y1間の子が非嫡出子になるのを防ごうとした。子の出生日も遅れて出している。)

昭和19年
Y1はその事実に気づいて怒るが、母親が謝罪してその場は収まる

昭和19年
Y1は台湾(当時日本統治下)でY2と恋愛関係になり、Xに離婚を申し入れ
X不承諾

昭和21年・23年
Y1・Y2間に子が出生
X・Y1間の子として出生届

昭和26年
Y1は離婚調停は離婚訴訟を提起するが成功せず

昭和47年10月
Y1は、Xとの離婚届けを偽造して提出
Y2と再婚。

横浜地方裁判所がどう判断されたか、というのはぜひ「法学教室」をご覧ください。

「読者の皆さんは結論をどう思われるだろうか。婚姻意思がないにもかかわらず子どもが生まれるような行為をしたY1は、自業自得だと思われるだろうか。」(水野先生より)

婚姻意思の存在(実質的要件①)

婚姻意思とは何か、という点について、水野先生は「難問」と述べられています。

この点、ローマ法の「テーブルとベットを共にする関係」に入る意思という定義ですが、「なかなかよくできた定義」ではあるものの「現在の判例がこれで整合的に説明できるわけではない」。

ここから、婚姻意思とは何かについて、参考判例をいくつか挙げていらっしゃいます。

<その1:臨終婚>
最判昭和44年4月3日、最判昭和45年4月21日などを挙げられますが、「そもそも男女関係がなかった事案では無理であろうし、どこまで安定的な男女関係の先行を要求するかは微妙である」。

<その2:仮装婚>
最判昭和44年10月31日を挙げられますが、事案自体は、本来は離婚で処理されるべき事案で、当時、有責配偶者からの離婚請求が許されるとする判例(最大判昭和62年9月2日)がまだ存在していないことから、「必要以上に離婚が困難になったことが、本件紛争の遠因であったように思われる」と指摘されます。

<その3:性的不能>
旭川地判昭和54年5月10日(判例時報942号120頁)。夫婦間で一度も性交渉が成立せず、離婚歴が付くのはおかしいとして妻が訴えた事案。裁判所は、最初から性的不能が分かっていたら婚姻意思はないだろうが、このケースでは性交渉が可能「だろう」と妻が判断していたものとして、婚姻意思の存在を認定した。

その他、統一教会の合同結婚式に関する福岡地判平成8年3月12日(判例タイムズ940号250頁)などもご紹介されています。

そして、婚姻意思の限界事例として最後はこれ。

逃げるが恥だが役に立つ

人気漫画がテレビドラマ化され一世を風靡した「逃げるは恥だが役に立つ」、略称「逃げ恥」の平匡とみくりは、「雇用主と従業員」という関係の契約結婚をしたという設定である。ドラマでは事実婚とされていたが、もし法律婚だったときに、この契約結婚は仮装婚として無効になるのだろうか。ドラマの主人公たちも現実の主演俳優たちもめでたく本物の婚姻意思を抱くに至ったようであるが、読者の皆さんも限界事例をあれこれ考えてみてもらいたい。
前掲参考文献P.104

今月の「水野家族法学を読む」について

今月号のレビューは以上なのですが、実は、今月の連載範囲について、管見の限り、水野先生の関連論文・判例評釈が見当たりません。(探していますが、たぶんないです。)

そこで、来週は、上記参考判例について少々ご紹介する一方、水野先生が離婚後共同親権について、なぜ消極論(事実上の反対論)の立場に至ったのか、論文を解析したレポートを数回(たぶん3回)にわたって認めたいと思います。(つまり連載と無関係な内容です。)

ご了承くださいませー。

(この連載つづく)

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