水野家族法学を読む(32)「離婚/離婚訴訟に関する法的規整を考える(3)」

判例タイムズに掲載された、瀬木裁判官との対談で垣間見えた、水野先生の離婚制度に関する根源的な批判とは。
foresight1974 2025.11.16
誰でも

時間が空きましたが、今回もこの論文を読んでいきいます。

  <参考文献>
対談「離婚訴訟、離婚に関する法的規整の現状と問題点」判例タイムズ1087号4-39頁(2002年)  

慰謝料請求に関するラディカルな主張

議論は、当事者の主張のナラティブ(物語)から離れて、法と要件事実に基づく合理的な争点の限定をどう進めるか、慰謝料請求を題材に進んでいきます。

まず、瀬木裁判官がこのように話を向けます。

おそらくより根本的なのは、慰謝料の問題ですね。現在の離婚訴訟には慰謝料請求が伴う場合が非常に多く、その関係で相手の有責性を事細かに主張する例が多いのです。水野さんはそもそも離婚に伴う財産給付の慰謝料構成に疑問があるという見解のようです。でも、離婚には原則として慰謝料は伴わないというふうに割り切ってしまうことができればいいのかもしれないですが、不法行為の一般的な考え方からいっても、これは認めざるをえないでしょう。せいぜい慰謝料の原因となる有責事由をある程度限定することができる程度でしょうね。
<参考文献>15頁

これに対し、水野先生はまず、法制審議会での1996年当時の改正要綱当時の議論状況(この対談は2002年)について語ります。

私も法制審議会の民法部会で婚姻法の改正要綱を作った一人ですから、立法はそれまでとの連続性・継続性に縛られるのもしょうがないと思っています。現に、あの要綱では、有責事由を残しました。それどころか、二項で裁量棄却条項すらおいています。協議離婚を廃止しない限り、日本では、一パーセントの裁判離婚は、その他の九九パーセントの協議離婚や調停離婚をにらみながらの設計にならざるを得ない、やはり象徴としての意味を残さざるを得なくて、あの民法改正要綱は、そういう意味では非常に苦心をしたところです。
二項の棄却条項には、六二年判決の線に沿って過酷条項も入れてありますし、さらに、別居期間の間に「配偶者に対する協力及び扶助を著しく怠っていることによりその請求が信義に反するとき」も棄却できるとして、その間の不誠実さへの歯止めもおいてあります。この後者の条項は、その後、「信義則条項」といわれるようになっていて、私としてはこの呼び名はいささか心外なのですが。私は単に別居中の扶養料・婚姻費用分担の確保をねらっただけの条文のつもりでした。
かくのごとく、あの改正案の条文は、非常に限界があるといいますか、妥協的なといいますか、読みにくいものではあるのです。ただ日本の風土の中で、もとの条文と判例を前提として改正すると、あそこまでの改正が限界だったかなとは思うのです。そして、あの条文でも、もし立法されていれば、離婚訴訟の現状はずいぶん改善されただろうと思います。同15-16頁

私は離婚の慰謝料というのはなくなっていいと思っているのです。財産分与という枠組みが、現存財産の清算という非常に限定された解釈になっておりますね。その解釈が当事者や裁判所を縛ってきました。でも、現存財産の山分けでは、とうてい離婚給付としては足りません。それを上乗せをする枠組みとして慰謝料が働く側面はあります。破綻慰謝料という有責性にとらわれない慰謝料概念を提唱する学説があるくらいで、何とか硬直化した財産分与に上乗せしたものを取らせてやりたいからというので、慰謝料概念も今まで生き残ってきたのではないかと思うのですが、私は扶養的要素を正面から認めてもっと増やしていいと思います。財産獲得能力がある当事者とない当事者、一人は一〇〇万円毎月入るけれども、もう一人はこれからパートに出ても月一〇万円もとても入らないというカップルが別れたときには、継続的な扶養義務にするのは難しくても、財産分与の扶養的要素を将来の分まで集積させてたくさん命ずることは可能だと思います。
16頁

瀬木裁判官が指摘します。

 財産分与の話はまた後でしますので、とりあえず今の点についてお話ししておきたいのは、離婚に伴う財産給付の内容がかなり厚くなったとしても、慰謝料請求というのはおそらくそう簡単に消えてゆかないのではないかということなのです。現在の離婚訴訟には慰謝料請求が伴う場合が極めて多く、それは財産分与の機能の補完といったことだけでは説明できないのです。どうも、裁判離婚の段階にまで至るケースでは、当事者には、相手から慰謝料を取りたいという気持ちが非常に強いようなのです。そして、これは離婚訴訟ではかなりあるのですが双方が離婚を求める場合、実務は離婚原因の立証は必要ないとしている場合が多いと思います(村重慶一=梶村太市編著『人事訴訟の実務〔三訂版〕』九四頁)が、その場合でも双方が慰謝料を求めて相手のほうがより悪かった、ひどかったとるる主張するので、水野さんが批判するような物語的な有責性の主張立証を許さざるをえなくなる。
だから、離婚慰謝料を限定するような立法的な手当てがなされる、例えばそういう形でコンセンサスができればともかく、そうでなければ、おそらく、弁護士の感覚でも、家裁の裁判官達にきいた感覚でも、慰謝料請求によって相手の非をただしたいという当事者の気持ち、あるいはそれに沿った弁護士の考え方、これが非常に強いということからすると、慰謝料請求は、少なくとも裁判離婚では、そう簡単になくなりそうにない。
それでは慰謝料の審理をもう少しスマートにできるとしたらどういうことが可能かということなのですが、例えば私の感覚からいくと、ある程度客観的にはっきりした事由、さっきおっしゃった不貞なら不貞、悪意の遺棄なら悪意の遺棄、そういうことを中心に慰謝料請求を組み立てることとし、全体として見たらどっちがどうといった物語的な判断を控えるという形での限定ということですかね、考えられるとすれば。
(中略)
家裁実務に詳しい裁判官達とも初めてその分野の話をしてみて思ったのは、現実に存在する現実の当事者というもの、その期待というものから大きくずれてしまうと、理屈としては正当であっても、裁判として成り立つだろうかというところがあるように感じるのですね。
(中略)
水野さんは、レジュメの中で、離婚されたくない権利という形で形式的に妻の保護をする、妻とは限らないですけど、離婚される配偶者の保護をするのは問題で、そこは積極的破綻主義と離婚給付の充実でやるべきだ、そして、離婚訴訟から不毛に傷付け合うだけの有責性の立証を極力排除すべきだとおっしゃる。これは議論としてはわかるのですが、消極的破綻主義の根拠として最後に残る気持ちの問題というのはどうなのでしょうか。
16-17頁

  これに対し、水野先生がこのように応答します。

尽くした末に捨てられた妻のケースの問題があります。この事件はたまたま外国人妻ですが、国籍を問わず、今の流行語で言うと「エンパワメント」されていないために忍従の立場におかれていた妻は、同じような反応を示すのかもしれません。日本は外国人差別の強い国ですから、彼女のおかれた位置は、今どきの元気な日本女性たちよりずっと大変な重圧下にあったのでしょう。これでは彼女がとても可哀相ではないか、そして彼女の思いをそのまま切ってしまうということはいかがなものかという感覚には、おそらくこの事案を読まれた数多くの方が、同調されるだろうと思います。
そこが信義則派の一番強いところなのだろうと思うのですが、でも、もしこれがここに至るまでの間に、適切な法の援助が入っていたら、どうだったでしょうか。ここが日本の家庭裁判所と家族法に対する私の批判になるのですが、ここに至るまでの間、彼女はずっと放っておかれていました。長い間、彼はやりたい放題をしていました。そのときにもし裁判所が適切に彼女を救済していたのだったら、養育費も取立て、婚姻費用の分担も確実に取り立てて、そして妻子の生活を守りながら事がここまで至ったのだったら、話はまったく違う印象を受けるだろうと思うのです。
実際に必要なときにまったく救済しないでおいて、最後の最後にこんな目に遭ったのに離婚されるなんて嫌だという、そこでだけ、それは確かにそうだねと言ってあげる、というのは、その場面だけ切り離すと説得力があるようですが、それはその前が悪かったのだと私は思います。
17頁

これに瀬木裁判官も理解を示します。

消極的破綻主義についての現在の実務のあり方あるいは法理、これが家族法の通説なのかどうか、ある程度通説的なことになるのかもしれませんが、そこについての根本的な批判という部分は、非常によくわかりました。つまり、別居中の婚姻費用や養育費の請求等が容易に認められ、かつ執行されるような制度になっていて、かつ、そうした救済方法へのアクセスも簡単にできるといった制度になっていて初めて、気持ちの問題の保護という理屈は正当性を主張しうるはずではないかということですね。

過去の探究ではなくて、将来の生活に役立つか

ここで、改めて1996年の民法改正要綱のうち、離婚規定に関する部分を提示したいと思います。

第七 裁判上の離婚
一  夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができるものとする。ただし、(ア)又は(イ)に掲げる場合については、婚姻関係が回復の見込みのない破綻に至っていないときは、この限りでないものとする。
(ア)  配偶者に不貞な行為があったとき。
(イ)  配偶者から悪意で遺棄されたとき。
(ウ)  配偶者の生死が三年以上明らかでないとき。
(エ)  夫婦が五年以上継続して婚姻の本旨に反する別居をしているとき。
(オ)  (ウ)、(エ)のほか、婚姻関係が破綻して回復の見込みがないとき。
二  裁判所は、一の場合であっても、離婚が配偶者又は子に著しい生活の困窮又は耐え難い苦痛をもたらすときは、離婚の請求を棄却することができるものとする。(エ)又は(オ)の場合において、離婚の請求をしている者が配偶者に対する協力及び扶助を著しく怠っていることによりその請求が信義に反すると認められるときも同様とするものとする。
三  第七百七十条第二項を準用する第八百十四条第二項(裁判上の離縁における裁量棄却条項)は、現行第七百七十条第二項の規定に沿って書き下ろすものとする。

(注)引用される条文は当時のもの

この規定を題材に議論が進んでいきます。水野先生はこう述べます。

先ほどの民法改正要綱についてもう一言付け加えさせていただきますと、あれは非常に中途半端な改正ではありますけれども、あの条文を作ったときに考えておりましたことは、この条文が成立することによって、離婚訴訟の争点が変わるだろうということでした。つまり過去の探究ではなくなって、将来の生活が立つかどうか、そちらに争点が変わるだろうと思ったのですね。それは離婚訴訟の現状に対して、非常にいい変更であろうと思いました。
18頁

水野先生は、「少なくとも私は、五年別居のケースからは、過去の有責性についての裁断を排除して、今後の生活をどうやって成り立たせるか、という争点に限定できると考えて、法制審議会の議論に参加していました。」(同)と語ります。

これに対し、瀬木裁判官は次のように応答します。

一つ付け加えておきたいのは、現在の離婚訴訟、判決だけ見る場合には、新様式の判決の中でも、かなり争点の限定がゆるく見えるようなものになっていますけれど、実際の審理自体は割合スピーディー、スムーズで、かつ、やっぱり証拠裁判主義で客観的なもの、メモとか手紙とかいろいろあるわけですが、そういうもの中心の認定をしていくので、水野さんのおっしゃるほど裁判官にすべてがゆだねられていて、恣意的であるということは、おそらくないとは思うのです(笑い)。
19頁
私から見ると、条文の問題が根本だなという感じが強いのですね。だから、条文自体のたたき方がもっと十分であれば、離婚訴訟の形もかなり違ったものになっただろうとは思います。人身保護法の条文を見ても思いますけれど、子の引渡しに使うこと自体がそもそもちょっと難しいということ以外に、人身保護法それ自体としても不備がある。戦後すぐにできた法律には、ちょっと条文の組み立て方に問題のあるものがありますね。そこが非常に尾を引いたかなということを一つ感じます。

この点については、水野先生は「瀬木さんと議論をすると、一つ一つの条文についてもっと厳密な議論をすべきであった」という反省を述べますが、こうも指摘します。

知人の地裁の裁判官が、離婚訴訟では自分の偏見を言う気がして非常に気が重い、そんなに僕の偏見でいいのですかという気分で、忸怩としながら判決を言い渡す、と言ってくれたことがあるのですけれども、それが忘れられなくて。彼のように誠実に自己を客観視できる裁判官であれば、きっとそういう重い気分になりながら判決を書かざるを得ないだろうと思うのです。
離婚訴訟の判断の大きな切り口という枠組みは、訴訟の枠組みには相応しくないものなのに、それを裁判官に押しつけてきたところがあるのでしょう。立法者も、家族法学者も、あるいは日本人の古層の幻想のようなものが背景にあったのかもしれませんが、その無理をあまり自覚しなかったのではないでしょうか。
もし全離婚が裁判離婚になるのであれば、このような問題点も国民全体の共有するものになったでしょう。欧米法の離婚法が破綻主義に変わっていったのも、やはりすべてが裁判離婚だという背景があって、でも、日本では何しろ一パーセントだけですから、離婚訴訟は、多くの人には遠くに起こる稀な事故に過ぎません。その稀な事故に対しては自分たちの無理な期待や思いを押しつけてしまうということがあったのでは、と思います。
20頁

二人の対談は、家族法の条文の不備や、解釈の曖昧さといった問題点については大きな一致点があるものの、裁判官に裁量と判断に対する評価については、大きな対立を見せています。

そして、水野先生は、立法に携わったご経験から、離婚紛争が不毛に長引く原因である「過去の探究」ではなく、「将来の生活に役立つか」という視点を提示します。
しかし、2025年の今、この20年以上前の議論を読み直して思うことは、過去の探究を捨象して離婚後共同親権を導入しても、将来の生活に何ら役に立たないのではないか?という、大きな疑問ばかりです。

(この連載つづく)

この連載一覧

無料で「Law Journal Review」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
水野家族法学を読む(31)「離婚/離婚訴訟に関する法的規整を考える(2...
誰でも
水野家族法学の読み方(2)森山浩江の場合
誰でも
水野家族法学の読み方(1)小粥太郎の場合
誰でも
<お知らせ>約3年ぶりにニュースレター「水野家族法学を読む」を再開しま...
誰でも
<お知らせ>約3年ぶりにニュースレター「水野家族法学を読む」を再開しま...
誰でも
水野家族法学を読む(30)「離婚/離婚訴訟に関する法的規整を考える(1...
誰でも
水野家族法学を読む(29)「離婚法の変遷と特徴を考える」
誰でも
水野家族法学を読む(28)「公正な秩序なき財産制」