水野家族法学を読む(7)「"思想敗北”を免れた戦後民法改正」

今週は、水野紀子白鴎大学教授「日本家族法を考える(第2回)」(法学教室2021年5月号 有斐閣)で取り上げられた、戦後民法改正について。
foresight1974 2021.05.18
誰でも

おはようございます。

今週は梅雨の走りのような天候で、湿気がきついですね。。。

もう少し、初夏の爽やかさを楽しめたら良いのですが。

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水野先生の記事では、戦後民法は「戦後の家族法改正は、日本国憲法に従って、主として家制度に関する規定を削除する、引き算の改正であった。」というように、やや簡潔に説明されていますが、実際にはもう少し複雑な実相がありました。

戦後民法改正過程について長年研究している和田幹彦法政大学教授の上記の研究書によれば、現行民法は「日本国憲法に従って」改正されたというより、2つの法律の制定担当者とGHQが相互に影響を与え合い、ある種の連続性を持って作られていた実態が浮かび上がってきます。

特に、家制度の廃止は、むしろ民法改正の基本方針として、家制度の廃止が基本方針となった影響を受けて、政府側の担当大臣の答弁姿勢が徐々に変化していった、という実態が明らかにされています。

〔参考文献〕和田幹彦「家制度の廃止」(信山社)第1章 P.19~131

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他方、同時に進行していた民法改正作業においても、家制度の廃止が既定路線だったとは言い難い実態がありました。

家族政策について研究している下夷美幸放送大学教授によれば、民法改正は起草委員会の当初案(A班案)では、家制度は廃止されず、戸籍法に移される方針でした。

しかし、後年の横田正俊の発言によれば、A班案は起草委員会で「鋭い批判」を受け、起草委員会案としてまとめられる段階において、家制度の代わりに「夫婦と未婚の子」という婚姻家族規範(標準家族思想)が提示されていきます。

一方で、A班には家制度を完全に廃止し、個人戸籍への編製という思い切った改革を主張する川島武宜もいました。後年の和田教授へのインタビューでは、当時の紙不足によって個人戸籍への転換を断念させられたことが示唆されていましたが、来栖三郎など、川島案への同調者もいました。

ところが、思わぬ横やりが入ります。
意外な名前ですが、我妻栄なのです。

戦後民法学をリードしてきた、民法学の大家ともいうべき学者ですが、当時、川島案に反対し、なんと来栖に対して対案作成を命じます。

来栖が作成したのが、夫婦と未婚の子単位という妥協案でした。

下夷教授は、我妻が妥協案を出した背景として、保守派を抑える必要があったことを指摘しています。起草委員会は当初「民法上の「家」を廃止すること」という文言を要綱案に盛り込んだものの、保守派の反対で「民法の戸主及家族に関する規定を削除し親族共同生活を現実に即して規律すること」に修正を余儀なくされています。

それでも、保守派の執拗な追及が続き、我妻は、「民法改正要綱と家族制度の関係」と題する文書を作成し、「本改正要綱は、特定の法律制度としての家族制度を廃止しても、道徳的理念としての家族制度は脆弱化されるものではない。否これによって却って新しき時代に即応した家族制度を発展せしめ得るという考えに立脚するものである」と主張しています。

後年、我妻は「ジュリスト」へのインタビューにおいて、家制度の廃止が不徹底だったことへの後悔をにじませています。

しかし、内心は単色的なものではなかったはずです。一方で、我妻が家族単位の戸籍編製を積極的に評価していた、という面もあったからです。

〔参考文献〕下夷美幸「日本の家族と戸籍」(東京大学出版会)P.33~69、P.233~261

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実は、我妻が家族単位の戸籍編製、家族法観を積極的に評価していたことの傍証ともいえる著作があります。

1955(昭和30)年、日本評論社から刊行された「法律における理窟と人情」に収められている「家庭生活の民主化」です。
国税庁の税務講習所の特別講演で、一般向けに分かりやすく戦後家族法の精神を語った我妻には、日本の戦後民主主義のカギは社会の基礎単位である、家庭の民主化にあるとみていました。

夫婦、親子、家族共同生活の三部に分かれた講演では、夫婦の財産関係を契約的に再構成したり、戸主権のような「権威による秩序」から「協力による秩序」を訴えたりしています。
また、戦後制定された児童福祉法の条文を再三にわたって引用し、子どもは親の所有物ではない、食いものにしてはならない(山形県出身だった我妻は、戦前・戦後に横行していた少女の身売りに大変心を痛めていました。)ことも強く主張しています。

しかし、サンフランシスコ講和条約に前後する「逆コース」の動き、夫婦同氏を結節点とする保守派の復古主義的な思想反撃、岸内閣の成立による改憲の動きに危機感を募らせた我妻は、宮沢俊義とともに憲法問題研究会に名を連ね、改憲反対の論陣を張ります。
一方で戦後民主主義社会の浸透をみて、コンピュータ化の進展に伴い「冗談」とことわりながらも個人戸籍への以降を評価したりもするのです。

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こうしてみると、戦後改革がGHQの圧倒的な力で、ドラスクティックに何もかも変えられた、という一般的な印象からほど遠い実態が浮かび上がってきます。

戦後民法(現行民法)の制定者たちは、保守派の強力な抵抗に遭いながらも、基本線としては、家制度の廃止をやり遂げました。前掲書の和田教授の研究によれば、GHQ/GSは公使にわたって関係者に助言を与えたことは分かっていますが、GHQ/GSが公式方針と言明した記録はなく、憲法24条の制定で契機を与えたのみであり、ある程度の影響を受けたものの家制度の廃止は自主的に決定した、と結論しています。

〔参考文献〕和田幹彦「家制度の廃止」(信山社)P.133~212

この点において、戦後民法(現行民法)の制定関係者たちは、大変な健闘を見せたと思います。
日本国憲法は、当初、松本烝治の強力な運営のもと自主的に改正案を作成したものの、GHQに全面的に否定され、GHQが代わって作成された草案の「日本化」に追い込まれました。そのさまは、憲法制定史研究の第一人者・古関彰一をして「憲法思想の決定的敗北」(「日本国憲法の誕生」より)といわしめるものでした。

これに対し、GHQは民法改正にあたった関係者の内容におおむね満足し、憲法制定時のような露骨な政治介入はありませんでした。ほとんどワンマンだった松本と改正内容を班分けして合議制を貫いた我妻とのリーダーシップの違いもありますが、関係者たちが戦後改革の意味をより正確に理解していからではないでしょうか。

ただ、それでも、水野先生が当初から提起している問題は解決されなかったのです。

来週はそんな話を。

(この連載続く)

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