【創刊号】“卵の側”に立ち続けるということ

48年前の今日、歴史的な憲法判断が下された。
しかし、そこに到るまでに、冷酷な法システムの壁に挑み続けた、名もなき多くの法律家たちの戦いがあった。
foresight1974 2021.04.04
誰でも

〔写真〕いつもこんな綺麗な青空が広がっていると良いのですが。

***

おはようございます。foresight1974です。
日曜日の朝、いかがお過ごしでしょうか。

ニュースによれば、今年の3月は記録的な暖かさとのことで、当地でも入学式もまだだというのに、葉桜になりかけています。

保護者の方は、少々がっかりでしょうね。

***

前回の創刊準備号でお伝えしたように、2021年4月4日、この日を創刊号の発行日に選びました。それに理由があります。

今から48年前の今日、1973年4月4日のことですが、日本の裁判史上初めて、最高裁判所が違憲立法審査権(法律・命令・規則・処分が憲法に適合するか否かを審査する裁判所の権限)を発動し、ある法令に憲法違反の判決を下しました。

刑法200条。いわゆる尊属殺人重罰規定です。

尊属殺人、つまり親殺しには死刑か無期懲役しか選択できないこの条文は、家庭内の病的ひずみから起きた殺人事件の当事者に、極めて苛烈な刑事罰を科してきました。

1968年に栃木県で当時29歳だった女性が、実父を殺害した事件の上告審だった本件も、そんな事件の1つです。
15年にも渡った凄惨な性的虐待と、事件発生前の10余日にわたる、想像を絶する実父の暴虐ぶりは、下記の記事でもご覧になることができるほか、作家・夏樹静子のノンフィクション、「裁判百年史ものがたり」(文春文庫)でも内容を知ることができます。
(性的な虐待の描写が含まれるため、閲覧にご注意ください。)

1973年の今日、最高裁判所大法廷は、14対1という圧倒的な評決差で、刑法200条を違憲と判断し、以降、複雑な家庭環境で起きた事件の当事者が、苛烈な刑罰から解放されることになりました。

しかし、この23年前、こうした重罰規定が憲法に違反すると果敢に主張した裁判官たちがいたことを、いったいどれほどの方がご存知でしょうか?
施行されてわずか3年の憲法を武器に、人権尊重の精神を果敢に主張しましたが、最高裁判所大法廷で2対13という圧倒的評決差で敗れ、しかも激しい罵倒を浴びせられました。

少数意見の戦い

少数意見の雄という言葉があります。
戦後、日本の最高裁判所が発足した時に、アメリカの連邦最高裁判所にならって設けられた個別意見開示制度。
合議制で1つの法的見解のみが示される下級裁判所と違い、最高裁判所では、判決理由を構成する多数意見とは別に、反対意見、補足意見といった少数意見を述べることが認められています。

保守派裁判官が盤石に優勢な日本の最高裁判所では、主にリベラル派の裁判官が個別意見を述べることが多く、色川幸太郎、伊藤正己、福田 博、最近では泉徳治といった裁判官の名前が知られていますが、その先駆けとなった裁判官が真野毅という裁判官です。

リンカーンに憧れて弁護士になり、後に"硬骨のリベラリスト”とうたわれた真野は、第二東京弁護士会会長を二度歴任した後、1947年、発足時の初代最高裁判所裁判官15人の1人として名を連ねます。

その2年後の1949年、福岡県で発生した尊属傷害致死事件(尊属への重罰規定は殺人事件以外にもいくつか設けられていました。)において、福岡地方裁判所飯塚支部の裁判官たちは、果敢に違憲立法審査権の発動に挑みます。
父親から投げつけられた鉄瓶を投げ返したところ、父親に命中し死に至らしめた、という事案ですが、家族は長年、粗暴な父親に苦しめられてきた、という複雑な背景がありました。

福岡地方裁判所飯塚支部裁判長日野太作ら3名の裁判官は、1950年1月、「子に対して家長乃至保護者又は権力者視された親への反逆として主殺しと並び称せられた親殺し重罰の観念に由来するものを所謂じゆん風美俗の名の下に温存せしめ来つたもの」であり、「封建的反民主主義的、反人権的思想にはいたいしたもの」であるとして、尊属傷害致死罪は憲法14条の法の下に反すると判断しました。

驚いた検察側は、跳躍上告という非常手段で最高裁判所に事件を持ち込みます。
その上告審において、真野は、冒頭に世界人権宣言を引用しつつ、多数意見よりはるかに長い反対意見を書き、尊属に基づく重罰規定を批判しました。

新しい孝道は、人格平等の原則の上に立つて真に自覚した自由な強いられざる正しい道徳であらねばならぬ。かくのごとく、親と子との間には従来永く社会的身分に上位下位の差別があり、これによつて生じた孝道規範の一として定められた親殺し重罰、尊属に対する傷害致死重罰の規定は、憲法一四条の例示規定そのものにも違反するのである。
(真野の反対意見より)

真野と共に、当時、先進的な民法学説で知られた穂積重遠も違憲論に加わり、評議は白熱したといいます。

しかし、真野と穂積は、2対13という圧倒的大差で評決で破れたばかりか、同僚裁判官の齋藤悠輔からは激しく罵倒されます。
しかも、こともあろうに判決文の中で。

齋藤は、真野の意見を「無責任な放言」「小児病的な民主主義」「封建的な奴隷根性」などと罵倒の言葉を書き連ねたうえで、次のように述べました。

原判決竝びに少数意見の思想のごときは、この道義を解せず、たゞ徒に新奇を逐う思い上つた忘恩の思想というべく徹底的に排撃しなければならない…(世界人権宣言を)憲法一四条を解釈するに当り冒頭これらを引用するがごときは、先ず以て鬼面人を欺くものでなければ羊頭を懸げて狗肉を売るものといわなければならない。以下の論旨については前に一、二触れたのであるが要するに民主主義の美名の下にその実得手勝手な我儘を基底として国辱的な曲学阿世の論を展開するもので読むに堪えない。
(齋藤の補足意見より)

穂積も齋藤から、「休み休み御教示にあずかりたい」などと、判決文の中で皮肉を投げつけられました。

品位を求められる司法判断の場において、このような罵詈雑言の個別意見が出された衝撃は大きく、国会でも問題視される事態となります。
当時、裁判官訴追委員会委員長であった三浦寅之助は、「全国裁判所の模範となるべき最高裁が、判決文に『国辱的な曲学阿世の論など読むに耐えない』とか『休み休み言え』などと書くのは何ごとか。最高裁の品位を何と心得ているのか。自ら権威を傷つけるものだ。齋藤判事の罷免訴追をするかどうかは今後のことだが、この訴追委員会でとりあげることにしたのは全委員一致の決定であることを申し添える」という怒りのコメントを出すほどでした。

しかしながら、当時は「夫婦、親子、兄弟等の関係を支配する道徳は、人倫の大本、古今東西を問わず承認せられているところの人類普遍の道徳原理」(多数意見)といった素朴な考えは一般的であり、現在のような複雑な家族関係を考慮する考えは少数でした。

23年後、痛ましい性的虐待が契機となった殺人事件が起きるまで、「人類普遍の道徳原理」という虚像が剥がれ落ちるのは、長い時を待たなければなりませんでした。

では、真野と穂積の奮闘は報われなかったのでしょうか。

破れざる者たち

真野と穂積が大敗を喫した1950年の判決後も、年間約30件の尊属重罰事件が、最高裁判所へ上告され続けました。真野、穂積、そして福岡地方裁判所飯塚支部の裁判官たちの後に続いて、憲法の精神を武器に戦い続けた、大勢の法律家たちの存在があったのです。

最高裁判所も徐々に姿勢を変化させます。
1957年、香川県で発生した尊属殺人事件について、刑法200条にいう「配偶者の直系尊属」は、現に生存する配偶者の直系尊属に限定すると判示(最判昭和32年2月20日)。その6年後、戸籍上、被告人の養子縁組につき、その代諾権者とされている者(養親)が真実の親権者ではなかった場合、刑法200条の直系尊属には当たらないと判示(最判昭和38年12月24日)し、徐々にその適用範囲を限定してきました。

こうした経緯を経て、23年後の劇的な「逆転違憲判決」は生まれました。

もちろん、それは大貫大八という、女性の悲惨な境遇に義憤にかられ無償で弁護を引き受けたという、1人の老弁護士の存在なしには成し遂げられなかったわけですが、その前に、大勢の法律家たちがあらゆる英知を駆使して戦ってきた成果でもあったのです。
実は、大貫自身は最高裁判決の結果を知ることはなく、上告直後に亡くなっています。しかし、彼の少数意見の戦いは息子の大貫正一によって受け継がれ、歴史に残る違憲判決につながっていきます。

2人の最高裁判事が少数意見が残し、大勢の名もなき法律家たちが受け継いだことで成し遂げられた、劇的な逆転判決。

私は、この記事を書きながら、あることを思い出していました。

真野毅と村上春樹をつなぐもの

2009年2月15日。
イスラエルとパレスチナ民兵組織ハマスとの停戦協定が切れたことをきっかけに起きた、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃。
前年12月から始まった侵攻作戦で、パレスチナ側の死者は1000人に達しようとしていました。(後にパレスチナ人権団体の発表によれば、そのほとんどが民間人だった)

この日、イスラエル・エルサレムで行われた、エルサレム賞の受賞スピーチ。
居並ぶイスラエル政府の要人の前で、作家の村上春樹はギリギリの言葉を紡いでいました。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。
そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?
この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
村上春樹の受賞スピーチより/翻訳:長谷川健司共同通信エルサレム支局特派員

1995年の阪神淡路大震災とオウム真理教事件。
この時期を画期として、「ねじまき鳥クロニクル」以降、社会へのコミットメントを強めてきた村上は、エルサレム賞受賞スピーチから3ヶ月後に発表した「1Q84」において、日本に跋扈する無反省な侵略戦争礼賛や歴史修正主義に言及をはじめ、「騎士団長殺し」では明確な批判に踏み込んでいきます。

彼もまた、文学というフィールドで少数意見を書き続けている一人です。

誰もが連鎖小説の書き手になれる

このニュースレターでは、法律に関する様々な情報のうち、選択的夫婦別姓、離婚後共同親権といった、主に民法(家族法)改正問題に関する話題を中心に取り上げていきます。

すでにtwitterで何度か言及していますが、私はこうした問題の当事者ではありません。
妻はいますが、彼女自身が強く望んで改姓しました。
また、不妊治療がうまくいかなかったこともあって、私たちに子どもはいません。

ニュースレターを発行する前、運営会社の担当者との打ち合わせの中で、どうしてこのような情報を発信するのか?と聞かれたました。

今、改めて考え直してみましたが、端的に、小学生が言いそうな理由しか思いつきません。

「みんなが幸せに暮らせる社会を作りたい」だけです。

弱者が虐げられることがなく、誰もがありのままで、そのままで尊重される社会に変わってほしい。
twitterでは一度も口にしたことはありませんが、私は、社会は必ず変えられる、と信じています。

2021年の日本社会を直視すると絶望的な遠さに思えます。
しかし、1つの仮説を提示したいと思います。

オックスフォード大学教授ロナルド・ドゥオーキンは、なぜ裁判官が、憲法や法律を解釈して、未知の個別事件に対して新しい解釈を創造したり、過去の事件の判例を変更することが正当化できるのか?という問題について、「連鎖小説の比喩」という説明を用いています。

この連鎖小説では、小説家のグループが1つの小説を書き継いでいく際、各々既に書かれている章を解釈して新しい1章を書き加え続けることになりますが、創作された小説を可能な限り最善のものにするよう、各々の小説家に任務が課せられているー、というものです。

小説を書かれた時は、その小説家だけの「最善の解釈」です。しかし、その少数意見は後日の小説家たちの「解釈」が積み重なっていくことで、最善のものに再構成され続け、いつかは多数が支持する最適解となるー。

ドゥオーキンは、判例法の形成について、このような説明を用いたのですが、この考え方は、いろんな社会問題の変革がどのように成し遂げられるのか、説明の応用が可能です。

私たちは決して無力ではない。1人1人が連鎖小説の書き手を担うことができるのです。

そしてそれは、日本中のあちらこちらで、現在進行中の現実です。
歴史社会学者の小熊英二は、「社会を変えるには」(講談社現代新書)の中で、「あなたの頭の中以外は、みんな変わっていますよ」と言うようにしている、と語っていますが、それは比喩でも皮肉でもなく、論理的な説明なのです。

***

私が卵の側に立ち続けるのは、マゾヒズムでも自己犠牲でもありません。
良心に従った、人間として当然の選択だからそこに立っているだけなのです。

これからの連載もぜひよろしくお願いいたします。

(了)

<参考文献>
夏樹静子「裁判百年史ものがたり」(文藝春秋)
山本祐司「最高裁物語」(日本評論社)
ロナルド・ドゥオーキン「法の帝国」(未来社)
同「自由の法ー米国憲法の道徳的解釈」(木鐸社)
小熊英二「社会をかえるには」(講談社現代新書)
朝日新聞朝刊1950年4月8日(アーカイブ)
共同通信2009年2月(アーカイブ)

無料で「Law Journal Review」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
水野家族法学を読む(30)「離婚/離婚訴訟に関する法的規整を考える(1...
誰でも
水野家族法学を読む(29)「離婚法の変遷と特徴を考える」
誰でも
水野家族法学を読む(28)「公正な秩序なき財産制」
誰でも
水野家族法学を読む(27)「夫婦の財産関係を考える」
誰でも
水野家族法学を読む(26)「"自分の名前"で生きる権利を考える」
誰でも
水野家族法学を読む(25)「不貞行為の相手方に対する慰謝料請求権②」
誰でも
水野家族法学を読む(24)「不貞行為の相手方に対する慰謝料請求権①」
誰でも
<お知らせ>ニュースレター「水野家族法学を読む」を再開します