水野家族法学を読む(14)「揺れ動く婚姻の意義」

一見、徒然なるままに論じられた婚姻制度の意義。
しかし、これは西欧法対比説に立たれる水野先生ならではの、熟慮に富んだアプローチです。
foresight1974 2021.07.13
誰でも

こんばんは。
今月から、水野紀子先生の「日本家族法を考える」は、「法学教室」2021年7月号からご紹介していきます。

<参考文献>
水野紀子「日本家族法を考える 第4回 婚姻の意義を考える」法学教室2021年7月号(有斐閣)P.89~94

日本法の婚姻と西欧法の婚姻

水野先生は、婚姻制度の話のツカミとして、平安時代の日記文学・蜻蛉日記、それから落語の小物問屋政談を題材に、婚姻制度が一夫一妻制以外にもさまざまな形が日本においても存在していたことを指摘されます。

一方、西欧では、ローマ法の家長権の下の婚姻、ゲルマン法の略奪婚・売買婚に対し、キリスト教の教義として人格の結合としての婚姻制度があり、それは「終生の絆」であった、と解説(※1)されます。そして、近代では婚姻の還俗を目指し、婚姻という契約の解消(離婚)の容認に転換されていきます。しかし、もっとも婚姻といっても婚姻の内容が厳格に法定されており当事者の自由にはならず、婚姻においても離婚においても重い手続が課せられています。

これに対し、日本では婚姻意思の軽視と、婚姻の制度としての弱さが際立つとされます。戦前は、両家の当主の相談で縁談が決定され、新郎新婦は結婚式に初めてまともに相手の顔を見るという結婚も少なくなかった。その点で、法律婚の意思がないにもかかわらず、婚姻の効果を準用する通説・判例(内縁準婚理論)にみられる婚姻意思の軽視は深刻であると、前月に続いて内縁準婚理論を批判されます。

そして、婚姻制度についても、たまたま同居する他人間の財産関係のような極端な別産制度は、家族の居住家屋についての処分権限もなく、婚姻費用分担や養育費の履行を実効化する公的介入が民法上存在せず、紙切れ一枚で成立する協議離婚制度は、西欧の常識では考えられない簡便な離婚方式の極みであり、財産分与は婚姻同居期間中に稼働した財産の分割であって、離婚後扶養の要素は含まれない、など多くの問題点を指摘されています。

※1 直木賞を受賞した佐藤賢一「王妃の離婚」の題材となった、1498年のルイ12世と王妃ジャンヌとの"離婚裁判"は、離婚原因(婚姻の解消原因)ではなく、婚姻の無効取消原因が争われています。

性関係の評価

キリスト教社会では、婚姻外の性関係に対する抑圧と禁止は苛烈であり、非嫡出子の地位はきわめて低く、同性愛は近年まで刑事罰を科させる危険があったことを指摘される一方、日本(徳川日本以降)では、およそ異なる性意識の社会であったことが、渡辺浩「日本政治思想史」を参考文献として解説されます。
しかし、21世紀の日本社会は、徳川日本や明治日本とは異なり、非嫡出子を生みにくい社会であり、その意味では前述する古い西欧法の価値観が日本に色濃く残され、「明治民法時代と現代の間の日本社会の意識変化は著しいが、家族法そのものは、戦後改革の家制度廃止を除けば、明治民法以来、それほど変化していない」と指摘されています。

しかし、水野先生は、西欧家族法はこの半世紀で大きく変化した、とされ、同性婚を題材に、アメリカの2015年の連邦最高裁判決、フランスが同性婚を承認する法改正の過程を紹介しながら、その変化のダイナミズムを描き出します。
また、生殖医療や人工妊娠中絶をめぐる動きについても、アメリカの生殖医療ビジネスの極端な市場化、他方、人工妊娠中絶をめぐる連邦最高裁保守派の揺り戻しの危険性にも触れつつ、その動揺を明快に紹介されています。

そして、次のように述べるのです。

このような世界の動きを受けて、日本の憲法学でも、憲法に「両性」や「夫婦」の文言があることそのものも問い直しが始められている。人間社会に、同性愛、性別違和、性分化疾患などの性的な多様性が存在することは、もとより否定できない事実である。キリスト教文化と遠く、衆道の伝統文化をもち、そしてカップル文化をもたない日本文化は、同性愛者にとっては暮らしやすい社会であったともいわれるが、彼らが社会生活の上で差別を受けるようであれば、それは是正されなくてはならない。あるホモセクシャルの男性と話す機会があったが、彼は、女性に対してはカミングアウトしやすいと術会し、「女性は性的客体として見られていることに慣れているからね。男性は、とかく性的主体としてしか生きてきていないから、僕がホモと分かると、自分が性的客体として見られていたのかとぎょっとする反応がウザい」とぼやいていた。セクシャル・ハラスメントという言葉の創設とその禁止は、社会や職場における女性差別を大きく是正した。同様に性的少数者がともに社会を構築する平等な存在であることが周知されるとともに、彼等の性的な自己決定権とその尊厳は守られなくてはならない。
前掲水野P.92
しかしそれが同性婚の承認に直結するかどうかは、また別の考慮が必要である。婚姻法に拘束されない自由な結びつきにとどまることは、同性愛者にとって致命的であろうか。異性間の事実婚は、労働立法や社会立法の領域では、その夫婦としての生活実態に合わせて古くから婚姻と同様に扱われてきたが、私人間を拘束する民法に領域では、あくまで別扱いであった(日本の内縁準婚理論は、得意な理論である)。同性婚は、民法の婚姻とする必要があるだろうか。たしかに同性婚の承認は、同性愛者に対する社会認識を大きく変える理念的力を持つだろう。現在の段階では、私は、登録パートナーシップ制度の創設はともかく、同性婚の成否に対しては中立の立場であるが、同性婚の承認が同時に彼らが生殖補助医療を利用して子をもつことの承認を意味するのであれば、それには賛成できない。妊娠出産は母体に生命の危険がある重い負荷であり、新しい生命にとって、出生はこの世への強引な拉致である。自己の生殖子を用いて自らが生命の危険を冒して妊娠出産することは、たしかに権利である。実親に育てる力がない、すでに生まれた子を養子にすることも、もちろん子の福祉にかなう正義である。しかし親希望者の欲求のために、代理懐胎という母胎の搾取を利用したり、他人の生殖子を用いて新しい命を誕生させることは、たとえその欲求がどれほど強い望みであったとしても、権利とはいえないと私は考える。
同上

太字部分は筆者(foresight1974)によるものです。
かなりどぎつい言い方ですが、水野先生は安易に強い表現を用いたのではなく、長年の研究からくる熟慮の上の主張によるものです。(ゼロ年代~2010年前後に集中して論文を書かれていますが、後日いくつかご紹介します。)

婚姻制度の意義

P.93から始まる婚姻制度の意義について、水野先生は、「近代法は、国家権力の介入の方法と限度を画するとともに、人間の欲望が権利として認められる限界を定めるものである。」という前提を踏まえたうえで、欲望の権利化を次のように説明されます。

市民生活は、相互に矛盾対立する。しかしそれなりにそれぞれ正当な法益が存在する。妻の美貌に惹かれて若い情熱で結婚したものの、妻との価値観の相違に疲れはて、もうこれ以上の人生をともにできないと考える夫には、それなりの正当性がある。妻帯者と恋をしたのはよくないが、二人の愛情には一点の曇りもないと考える夫の恋人にも、それなりの正当性はある。そして二人の間に生まれた非嫡出子には、もとより何の罪もない。しかしなぜ私は捨てられるのかと嘆く妻の怒りにも、もちろん正当性はあり、なぜ自分は両親そろった家庭で育てられないのかと悲しむ嫡出子の嘆きにも、当然に正当性はある。民法は、これらの矛盾対立する正当性の間に、離婚を認める条件、婚姻費用の分担、離婚給付、養育費等の基準を定めることによって、妥協と共存の複雑な線を引く。
前掲水野P.93

だが、水野先生は、「しかしこのような近代法の感覚は、いまだに日本人の身についていないのではないだろうか」と問題を指摘され、その論拠として、マスコミの有名人の離婚報道や不貞行為の相手方に対する社会的制裁を挙げられています。
また、夫婦間の経済的不平等を是正する機能が民法に備わっておらず、「妻が自力で対等な経済力をもつことによってはじめて、夫婦間の平等が保たれるということでは、はたして婚姻制度が十分に機能しているといえるだろうか」とも指摘されます。こうした現状は、晩婚化、非婚率の上昇、法律婚の激減、バースストライキともいえる出生率の低調に跳ね返っているように思えますね。

婚姻制度の本質について、水野先生は、有責配偶者の離婚請求権についての有名判例である、最大判昭和62年9月2日の一節を引用されます。「婚姻の本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにある。」

そして、特に未成年子の保護をその重要な意義の1つとして挙げられています。ファインマン「家族、積みすぎた方舟」やドゥネス=ローソンの「結婚と離婚の法と経済学」を紹介され、欧米での最近の根源的議論をフォローしつつも、それらにアンコンシャス・バイアス(明確には意識されない偏見)の危険性も指摘されます。
ディフェンシブな法学者である水野先生は、次のように説明されます。

私は性別役割分業を肯定するわけではなく、育児も孤立した家族ではなく群れによる育児が、現代にも再構築されるべきだとは思う。仕事と育児が両立できるように、また育て方の下手な親でも育児できるように、育児支援のエアの社会福祉は、日本の現状よりはるかに充実することが必要であろう。また結婚はもとより子を産み育てるカップルにのみ認められるものではない。しかしそれでも、はるかな昔から次世代をはぐくむ社会制度として、婚姻は、子を育てる繭を構築する機能を果たしてきたし、今後もその役割を果たし続けるだろう。
前掲水野P.94

徒然なるままに論じられているようにみえるが。。。

今月号の水野先生の記事は、一見、とりとめもありません。
学生向けの法学雑誌を意識されたせいか、最近のホットイッシューを巧みに取り入れながら、まさに吉田兼好のいう徒然なるまま、闊達に婚姻制度の意義を模索的に探求されておられますが、そこには一貫性のあるアプローチがあります。

本ニュースレターで前号までに詳しくご紹介した、水野先生の家族法観、すなわち西欧法対比説というアプローチです。

西欧法を対比しつつも、日本の現状を踏まえつつも、普遍的な法理論から統合的・体系的な法解釈学を再構成しようという一貫した意思が感じられます。

現状の初婚夫婦+未成年子という婚姻家族を類型的・基本的・原則的な規範とした婚姻法観、弱者家族を保護するための公的介入論、類型から「外れた」家族形態の法律婚化への消極姿勢(保護しないではない)は、決して独り相撲ではなく、今月号にて紹介されているように、自己への反対論を十二分に意識した立論であることが示されています。

(この連載続く)

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