憲法24条研究ノート(5)学説①制度的保障論
第1弾は、近年、一部の保守派憲法学者が主張していた制度的保障論です。
制度的保障とは、法学部で憲法を勉強した方、司法試験を受験し法曹となられた方のほとんどが習った話ですが、一般の方向けのニュースレターなので、まずは、芦部信喜の有名な解説から入りたいと思います。
人権宣言は、個人の権利・自由を直接保障する規定だけでなく、権利・自由の保障と密接に結び合って一定の「制度」を保証すると解される規定を含んでいる。このような個人的権利、とくに自由権と異なる一定の制度に対して、立法によってもその核心ないし本質的内容を侵害することができない特別の保護を与え、当該制度それ自体を客観的に保障していると解される場合、それを一般に制度的保障という。
芦部の解説によれば、上記解説の例として信教の自由を守るための政教分離、学問の自由を守るための大学の自治、財産権を守るための私有財産制度などを挙げています。
但し、芦部はこれに留保を付けており、「ある種の人権について制度の保障が語られるとしても、その内容は人権の保障に奉仕するためのものでなければならない」とされています。
後掲君塚論文では、憲法学における憲法24条の法的性質を説明する学説として、一番最初に取り上げられているのが、この制度的保障論です。
一見、人権を保障するための独自の見解に見えますが、一部の保守派憲法学者が主張するようになったこの説は、後述するように、結論として24条の人権保障機能を弱める方向に作用する議論となっています。
①田上説
まず、田上穰治の説から。
美濃部達吉の弟子であり、憲法学を専攻された方なら、「自由権・自治権及び自然法」(有斐閣)が有名で、自然法思想に基づき、戦後憲法の制定をいわゆる八月革命説とは違う観点から擁護した学者として知られています。
一方で、クリスチャンでありながら、殉職自衛官の合祀をめぐる訴訟で国側証人に立ち、宗教上の人格権を否定したこともあります。
24条について、後掲田上論文によれば、次のように説明されています。
憲法第二四条は、婚姻および家族生活において個人の尊厳と両性の本質的平等を保障している。けれども婚姻と家族生活は、明らかに私的自治の範囲に属するから、政府自体または社会公共の利益を目的とする行政権の直接の対象とならず、また、民事法における差別法の基底の禁止は、必ずしも関係者が希望する場合に限られないから、個人の自由ないしは権利の保障ではない。
この解説の脚注に制度的保障の例としてワイマール憲法119条の解説論文を挙げています。
<参考文献>
田上穰治「立法権の限界」法哲学年報1956巻44頁
同「憲法撮要」(有信堂)82頁
このほか、下記の西村裕一北海道大学准教授の解説が非常に参考になります。
②橋本説
次に君塚教授が紹介されるのが、自衛隊合憲説で有名だった橋本公亘です。
「日本国憲法」(有斐閣)の中で、次のように主張しています。
婚姻ならびに家族生活は、人間の社会生活における最も基礎的な単位となるものである。明治憲法の下では、婚姻並びに家族生活において封建的な観念が支配し、女性の地位は男性に比べてはるかに劣ったものであり、また、「家」という観念が強調されていたため、個人の尊厳は重んじられていなかった。そこで、憲法は、平等原則がこの分野でも完全に実現できるようにするため、とくに二四条を設けたのである。
そして、24条は、平等原則の家族生活における具体化であり、次の3つの意味をもっていると解説しています。
(a)各人は、婚姻および家族に関して、個人の尊厳と両性の本質的平等に従って、法的に取り扱われるべきことを、国会に対して、要求できる。国家の側からいうと、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、法を定立し、法を適用する義務がある。
(b)24条は、憲法が、婚姻、離婚、相続に関する法制を制度的に保障したものである。
(c)24条は、憲法が婚姻および家族に関する事項について原則規範を定めたものであり、この原則に反する法規範は効力を有しない。
<参考文献>
橋本公亘「日本国憲法」(有斐閣)216~217頁
上記、田上・橋本説は、日本国憲法の権利規定を矮小化する保守派の議論に与しているわけではなく、憲法の人権規定は国家からの人権侵害に対する防御権(最近では、「切り札としての権利」と比喩される)と考え、私人間の権利関係が主として問題となる家族関係については、公私の分別から、権利性を否定しつつも、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」に立脚した家族を制度的に保障する、と考えるものでした。
しかし、近年の保守派憲法学者は、一歩進めた考えを持っています。
③長尾説
最後に君塚教授が紹介された長尾一紘は、中央大学教授であった保守派の憲法学者。
当初は、外国人参政権に賛成するなど、リベラルな見解を示していましたが、2010年前後を境にして、保守へ大きく舵を切り、毎年のように民主党を批判する著作を連発するようになった学者です。
長尾一紘「日本国憲法」(有斐閣)※で、長尾は、「家庭生活に関する事項については、個人の尊厳と両性の本質的平等を基本原則とする」としながらも、「本条は、婚姻および家族についての制度的保障である。」としています。
そして、次のように説明されます。
(1)1項において、夫婦の同権、2項において、家族法が個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されるべきことを定めた。
(2)このような要請は、明治憲法下における家族制度の"不合理"を否定する趣旨を含意する。たとえば、旧民法には、長男の家督相続、妻の財産取引における無能力、妻の財産に対する夫の管理権、妻の不貞行為による離縁、夫の親権の行使、などの制度が見られたが、これらはすべて否定された。
しかし、長尾が執筆した当時、問題となっていた憲法問題について、非嫡出子の相続における差別には「合理的理由が乏しい」としたものの、女子の再婚禁止期間の規定(旧民法733条)は「妥当」。婚姻適齢の差別(同731条)、夫婦同姓の原則(750条)の違憲性は否定。同性婚が認められないことも違憲ではないとしています。
<参考文献>
長尾一紘「日本国憲法」(有斐閣)158~159頁
※長尾説を紹介した君塚論文は2002年に発表されたものであり、君塚教授が引用した長尾の研究書は1997年のものです。
君塚教授の批判
これらの見解が2021年の現在、理論的な説得力も結論の妥当性も失われているのは明らかです。
君塚教授は、和田鶴蔵や米倉明の論文を引用しつつ、次のように批判します。
このような立場は当初から問題視された。「憲法原則に反する家族法が存在するということは、国が憲法の命じる義務違反をしているのであるが、この義務違反を矯正することができないならば、憲法に規定した制度的保障や法制の保障は、絵に描いた餅に等しく、実効のないものである」のであるし、特に一項が夫婦の「権利」を保障しているという文言にも合致しない。二項についても、「法律が」「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して」「制定されねばならない」とあることは、裏を返せば、そうでない立法は違憲であることを指すのではないだろうか。また、制度的保障概念を説く特定の人権と密接に関連する定型的制度の保障と解するならば、二四条全体を制度的保障と考えることは矛盾を来たすものなのである。
いうまでもないが、「『何が何でも憲法に持ち込んでいく』のは実定法の議論としては愚かしく、むしろ誤りである」が、「好むと好まざるとにかかわらず、わが国は憲法を根拠にして法体系ができている。それを無視して勝手に議論するのはおかしな話であ」って、「『問題は立法政策の領域に属し、違憲とはいえない』などと気楽にいうながれ」なのである。仮に二五条がプログラム規定であるという解釈があるように、「権利」等の文言があっても権利性が否定される条文があるということもあるとの解釈を是認しても、財政的担保なくして社会保障が不可能だとされるような二五条独自の事情は二四条にはない。何れにせよ、二四条の人権性を否定する見解は問題が多く、実際に有力なものとはならなかったのである。
※君塚教授が引用した言葉は、和田鶴蔵「憲法と男女平等」(太田書店)166~167頁、米倉明「家族法の研究」(新青出版)70頁、125頁からのもの。
<参考論文>
君塚正臣「日本国憲法24条解釈の検証ー或いは『「家族」の憲法学的研究』の一部として」関西大学法学論集52巻1号(2002年)
(この連載続く)
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