水野家族法学を読む(5)「予見されていたme tooバッシング」
おはようございます。foresight1974です。
今年のGWいかがお過ごしですか?
当地は、5月半ばくらいから雷がよく落ちる土地柄でして、残念ながら、亡くなる方も時おりいらっしゃいます。
苦手なんですよ、雷。
昔、北アルプスで雷雲に遭遇し、九死に一生を得たので。
妻は平気で出歩きますが、私は大嫌いで、いつも顔をしかめます。
皆さんもホントお気を付けください。。。
先週(4月28日)、「法学教室」2021年5月号が出ました。
今週から当ニュースレターも、5月号の「第2回 戦後改姓を考える」に沿ってお話ししていきます。
今月号もめっちゃ面白いです。
水野先生のお話しの面白いところは、法学にとどまらない博識なところで、歴史学であったりフェミニズム、現代思想だったりをクロスオーバー、いい意味で自由闊達にお話しが進んでいくところです。
(時おり、この話どこに着地するんだ!?みたいな展開がありますがw)
1、忠孝一体から敗戦へ
まずは、明治民法制定後の天皇大権イデオロギーの浸透について。
秩父事件を引き合いに、最初は江戸時代の残滓を引きずっていた天皇観が、明治政府の国民統合政策、ナショナリズムの浸透につれ変化していきます。
元老たちによる教育勅語などのナショナリズム政策の結果、それを学んで本気にした世代が成長していき、1930年代以降、天皇大権イデオロギーが日本を覆うようになる。「配線以前にあっては、家族制度を否認攻撃することが直ちに危険思想とされた。それはやがて天皇制につながる考え方だからである。天皇の神格を否定したり、軍部の横暴を非難することと同じように、家族制度を批判することは火中の栗を拾うに似た業であった」と、中川善之助が述懐するように、そうなってからの家制度批判は、大変な勇気を要する営みであった。
続けて、現代への影響を次のように述べます。
戦後、家制度が廃止されてからも、「家敗れて氏あり」(宮沢俊義)と言われたように、氏を通じて家意識は残存した。夫婦別氏選択制に反対する動きの底流には、このような天皇大権イデオロギーと結びついたナショナリズムの残滓が感じられる。
この天皇大権イデオロギーがどれだけ残存しているかについては、次週以降に関連書籍を通じて詳しくご紹介していきます。
2、戦後民法改正
戦後の家族法改正は、日本国憲法に従って、主として家制度に関する規定を削除する、引き算の改正であった。
戦後民法改正の最も大きな内容的改正は、家督相続の廃止といえるだろう。すべての相続は均等の遺産相続となり、遺産分割が必須となった。(中略)西欧諸国における遺産分割は、遺産裁判所や公証人という中立的な法的プロフェッショナルが管轄する。法主体消失の清算過程である。日本法は、このような法的インフラをもたないため、遺産分割をお互いに利益相反する共同相続人に委ねるという、構造的な難点を抱えている。
この清算過程をフェアにする、という発想が日本法に欠落している大きな部分が離婚です。
西欧法の離婚給付は、離婚後もかつての配偶者間の生活水準をできるだけ均等にすることを目的にする負担であり、離婚した多くの夫は、大きな負担を負い続ける。日本の母子家庭の貧困は、元夫のこういう負担を負わない家族法にも大きな一因がある。
そして、戦後民法改正が、平等を大きく促進したことを認めつつ、次のように述べます。
戦後改正当時の日本民法は、形式的な男女平等という点では、世界的に見ても最も進んでいた。しかしそれを可能にしたのは、日本法が内容を「協議」に委ねるという白地規定を多用したからである。
その結果、公的介入の保障が行われなかったのは相変わらずであり、「家の私的自治が当事者の私的自治に横滑りしただけであった」「西欧民法と異なる日本家族法の特徴は維持された」という評価を下しています。
3、戦後の展開
この章では、皆さんにもお馴染みの、戦後社会の変化、とりわけ最近の高齢化社会や晩婚化・未婚化・少子化、その背景として依然として横たわる男女差別等が説明されています。
公的介入手段を持たない日本民法は、結局、社会のひずみに無力であったわけです。
ここで、水野先生は、ある歴史家の言葉を引用します。
鹿野政直という人物なのですが、この人物をどうか、この後の連載にもずっと覚えておいてください。
鹿野政直は1983年に、この日本社会の状況を「残酷な詐術」として次のように描いた。「現今の家庭で妻=主婦=嫁は、夫シッター、子どもシッター、老人シッターの三機能を兼ねることを余儀なくされ、その意味で『母性』ないし疑似的『母性』を強めつつある。」「これは残酷な詐術である。まず、近代化(具体的には資本主義化)の成果として人と人との関係が、商品ないし商品的価値を媒介にするというかたちで切り離され、そのゆきつく先として解体や荒廃がもたらされたにもかかくぁらず、原因と結果が倒立したかたちで印象づけられるべく操作され、『母性』の不在に、懐胎や荒廃がおしつけられるという論理が準備されている」。
このくだりは、現在のme too運動へのバッシングを十分に見越しているといえるでしょう。
4、家事事件手続
連載の後半3ページの家事事件手続は、家庭裁判所、家事事件の手続法、家事調停の3つの制度や法律について、沿革を簡潔明快に説明しています。
一言で申し上げるならば、貧弱な司法インフラと何とか折り合い(誤魔化し)をつけようという、葛藤に満ちた内容が語られています。
<家庭裁判所>
一般的な民事訴訟と異なり、紛争解決の方向性が決定的に異なる。民事訴訟は、過去の裁断が重要であるが、将来の予測、未来の構築がじゅうようであること、要するに子どもの保護という問題を内包する。
1949年に創設された家庭裁判所は、家裁調査官、医務室技官などの要因を配して、体制的にはニーズに応えようとしているが、西欧の体制には遠く及ばない。
<家事事件の手続法>
主に、家事事件手続法、人事訴訟法の紹介。
家事事件の種類や、紛争解決手段が複数用意され、ケースバイケースで選択されていることなどが紹介されています。
また、家事審判には既判力がないとされているものの、事実上の既判力を与えた最判昭和42年2月17日が紹介されていますが、憲法判例(家事審判に憲法32条・82条の裁判に当たるか否か)として勉強した学生は多いと思います。(択一試験でよく出題されたと聞いています。)
※既判力・・・裁判所の判断が最終的なものとして、後訴裁判所・当事者を拘束する法的効力。民事裁判、刑事裁判は一般的に認められているが、通常の裁判手続ではない家事事件手続に既判力は生じるかは見解の対立があった。
<家事調停>
調停員の役割が紹介されています。
「調停いろはかるた」が紹介されていますが、「い:いろいろの もめごとはまず 調停へ」「ろ:論よりは 義理と人情の 話し合い」「な:なまなかの 法律論は 抜きにして」「け:権利義務 などと四角に もの言わず」「ん:んと云うまで とっくりと 話し合い」
水野先生は、「法律家でなくてもさすがに違和感があるだろう」と書かれていますが、離婚後共同親権推進派のなまなかな法律論と対峙している私からすると、「な」はまだ使えそうな気がしますねえ。。。
(この連載続く)
【連載一覧】
すでに登録済みの方は こちら