水野家族法学を読む(13)「家族・親族の範囲」

「法学教室」2021年6月号で闊達に語られた水野先生の親族の範囲論。その背景にあるパースペクティブな視点に迫ります。
foresight1974 2021.07.06
誰でも

こんばんは。

2021.6.22に特別号を出した関係で、ニュースレターの連載ペースが1週間分遅れている関係で、今週号までは、2021年6月号を題材とした内容となります。

多様性の包摂からなぜ「一線を引くのか」

水野先生は、「法学教室」2021年6月号の連載記事の後半で、親族の範囲について論じられているのですが、冒頭、家族や親族のあり方が、国や社会によって様々なかたちがあったことを、参考文献を紹介しながら論じられていますが、特に2つの文献を詳しく取り上げています。

山極寿一「家族の起源―父性の登場」(東京大学出版会)
E.トッド「世界の多様性」(藤原書店)

ちなみに、先週ご紹介した水野先生の論文「日本家族法―フランス法の視点からー」でも、家族法観を確立するための文献として、トッドの「世界の多様性」を挙げられています。(同論文P.107。そのほかに、渡辺浩「日本政治思想史」、エヴァ・フェダー・キティ「愛の労働あるいは依存とケアの正義論」など。)

そして、比較婚姻法のシンポジウムで、イスラム圏の婚姻法は男女平等にはほど遠いながらも、妻の財産的権利は日本よりはるかに厚く保護されていること回想し、一方、日本ではイエがセーフティーネットであったが、現代の日本社会では世間の監視力による自粛意識だけが残り、自助が強調されてセーフティーネットが不在である現状を指摘されています。

ここで1つの疑問が浮かびます。

こうしたパースペクティブな見方をお持ちになりながら、水野先生ご自身は、多様な家族形態を日本の民法に包摂しようという構想は、おそらく持っていない。

というのも、たびたびご紹介しているように、水野先生の家族法観は、星野英一が分類した第四の立場(明治以来十分に理解されないままできた西欧の家族法・家族観を見直し、それと意識的・無意識的に存在する家族法観とを対比して、今後の家族法を考える基礎を確立する立場。水野先生ご自身は西欧法対比説と称しています。)で、かつ、大村敦志の分類した「プロトモダン」であるからです。

現在のジェンダー法学の見地からすれば、一線を引いた、思い切って言えば、若干保守的な立場といえる立場をなぜ取られるのか。

次の文献からその背景を探っていきたいと思います。

<参考文献>
水野紀子「団体としての家族」ジュリスト1126号 72~78頁

念頭に置かれている「家族の基本類型」

「【特集】民法100年 新時代の民法を展望する」という題された特集が打たれたジュリスト当該号において、水野先生は、上記論考で「そもそも法が守るべき家族とは?」という根源的な問いかけをしています。

現行民法は、個人の個人に対する権利義務関係を規定しているだけであり、団体としての家族を設定したり、ましてそれに法人格を与えたりするような規定はもっていない。しかしそれゆえに民法が、家族という団体に無関心であるとか消極的な立場をとっているということはできないであろう。家族をなんらかのまとまった団体として法的に規律するためには、家族団体の範囲をたとえば「家」のメンバーとして民法上も画する必要があるわけではない。その構成員間に他人間とは異なる特殊な権利義務を課すことによってもそれは可能であって、さらに戸主(=家長)と家族員の権利義務関係を設定するという形をとらなくとも、夫婦間の権利義務と親子間の権利義務という形によってもよいからである。
前掲水野論文P.72

しかし、「家族の団体性について論じられるときには、これらの権利義務の内容について具体的に議論されることはあまりなかった。」

そして、戦後民法は、夫婦と未成熟の子という核家族(前掲水野論文では嫡出家族と定義する)が、家族の団体の範囲として設定されたとする説が主流であった、と解説される一方、この家族観が非嫡出子差別や選択的夫婦別姓によって動揺している現状(※)を指摘されています。

※この論文が執筆されたのは1998年。選択的夫婦別姓導入を提言した法務省答申から2年後であった。

そして、これまでのニュースレターでもご紹介してきた戦前・戦後の家族法改正や家族法解釈論を整理されたうえで、次のような重要な指摘をされています。

家族という概念の定義は多様である。血族または姻族関係で結びついたすべての人々を含む広義の概念から、夫婦とその間の子をいう狭義の概念まで幅がある。この広義のものと狭義のものはそれぞれ法的な家族概念となりうる。日常的には、共同に生活している人々(かつては親族以外の使用人まで含む意識もあった)をいう場合が多かろうが、これは法的な概念とはならない。しかしわが国では、この共同生活者の家族概念を法的なものとして取り込もうとしてきた。
前掲水野論文P.74
共同生活者の外縁を法的に画することは本来できないはずであるが、明治民法は、戸籍によってそれができたので、一つの戸籍にいる戸主と家族員を一つの団体として、つまり「家」として規律することができた。「家」制度が廃止されたとき、この規律を維持する役割は、「親族」概念に託された。日本民法の「親族」概念は、それが家族団体と重なってイメージされたために、民法の立法過程でわが国の独特の概念となっている。つまり旧民法では親族という言葉を血族関係という意味に解していたが、明治民法は血族のほかに配偶者や姻族も含むものとした。保守派は「現実に生活協同関係として存在する親族圏を民法の規定に反映させようとした。」からである。その点では、明治民法よりむしろ戦後の民法改正においてこの保守派のねらいはより実現したといわれる。つまり、「共同体としての『親族』乃至『家』の概念が改正民法典から姿を消したわけではなく、第七三〇条・第八七七条第二項・第八七九条において、姿をかえて、しかもより多くの現実の『家』的=『親族』的共同体に即して規定されている」からである。もっとも民法学界の主流は、七三〇条を死文化する解釈や扶養義務の内容を拡大せず経済的給付に限る解釈によって、この民法条文の特徴を抑制してきた。しかし七三〇条活用論や介護義務を扶養義務の中に取り込む学説が少数とはいえ絶えることはなかった。とりわけ障害をもつ高齢者が増加した現在、これらの少数説によると介護は法的義務の履行に過ぎないから、介護者の過大な負担を正当に補償することができないことになり、かつ介護者・被介護者双方の人権を守るための社会的な介護体制を整備する施策を遅らせるという弊害が顕著となる。
前掲水野論文P.75
ともあれ、現行民法の家族間の権利義務は、夫婦と未成年子の三者間のそれぞれについて権利義務として規定されるものが主体をなすものである。これらの権利義務は、婚姻費用分担にせよ夫婦財産制にせよ離婚給付にせよ、財産的な給付に関するものが主であるとはいえよう。しかし嫡出家族内においては、夫婦間の貞操義務・同居義務・協力義務をはじめそれ以外の人格権的な義務も多く課される。とりわけ親が子を育てる義務においては、財産的な給付以外の債務であってもときにはその強制執行さえも必要となる重要な義務となる。法的な扶養義務が経済的な給付以外の内容をもつのは、未成熟子の養育においてのみであろうと考える。そして妻の産んだ子には嫡出推定によって夫が父として与えられる。これらの相互に課される重い義務によって、家族という団体が形成される。この嫡出家族が現行民法の設定する団体としての家族の理念型であることは、たしかであろう。
同上

23年前の論考ですが、なかなか保守的な家族法観です。
そして、その家族法観に変更がないことが、2021年6月号「法学教室」において明言されています。

その理由は何か。

物事には順番がある

これまでご紹介した論文において、野蛮ともいえる同調圧力や絶望的な公的インフラの欠如を指摘していた水野先生ですが、嫡出家族を理念型とした法律婚制度を否定することは、「そうは思われない」と否定されます。

家庭が子の幼い日々を守る暖かい繭としての機能を果たすためには、法が家庭を守らなければならない。この法の保護がないと、母と子は父に捨てられる危険が高まるだろう。安定した家庭ではぐくまれる子が多ければ多いほど、その社会は安定した平和なものになるであろう。たしかに、個人の尊厳を守ることが何より重要な原則であるという現代の前提に立てば、嫡出家族についても実際にどのような家族生活を送るかという側面については民法は謙抑的でなければならない。また嫡出家族という繭を作らずに、つまり嫡出家族として法に権利義務を課される拘束を好まずに子育てをする家庭を作りたいという者の自由は束縛されるものではないし、とりわけその育ちかたのゆえに子を差別してはならない。しかし民法において家族間の関係を規律する、とりわけ紛争時に弱者が保護されるように権利義務を規定することの必要性は否定されるものではなかろう。
前掲水野論文P.76

水野先生は、保守派が構想するような抑圧的な家族制度は繰り返し否定しつつも、あくまで家族法は、国家が家族を守るもの(公的介入する)法律であると捉えられるのです。

法律婚制度を否定するよりも、むしろわが国においては、これまで十分に家族の保護法として機能を果たし得ないできた家族法に、民法としての家族法、実定法解釈論としての家族法学を、確立することのほうが急務であるように思われる。
同上

だからこそ、その謙抑性を担保する見地から、嫡出家族を基本類型として、家族の保護法としての機能と解釈論の確立を、長年にわたって提唱されていると思われます。

だが、私見ですが、果たして2021年の日本社会をみると、その発想の順番を守っている場合なのだろうか?という疑問を禁じ得ないのではありますが。

(この連載続く)

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