憲法24条研究ノート-Introduction-

近年、政治や社会との激しい葛藤が生じている憲法24条。
学説や判例の分析を通じて2021年の男女平等の"現在地点"を探ります。
foresight1974 2021.05.05
誰でも
先入観を持ち込まないわずかな人だけが、歴史から多くを学びうる
J.S.ミル「女性の解放」岩波文庫

まず最初に、読者に質問をします。
今、あなたが1869年(明治2年)に生きているとしたら、あなたはフェミニスト(男女同権主義者)になれますか?

私はたぶん、というか99%無理だったと思います。

この年、日本では関所を女性が自由に通行できるようになりました。(廃藩置県の前で、まだ関所があった。)
津田梅子らが欧米に出発したのは、その2年後。翌年に日本初の女学校が設立されます。女性が離婚訴訟を起こせるようになるのは、さらにその翌年。
一方で、良妻賢母思想が盤踞としていた時代、儒教道徳と天皇大権イデオロギーを背景とした家制度が創設され、女性の地位は劣位に置かれていきます。
1885年に森有礼が良妻賢母教育政策を打ち出し、明治天皇が教育勅語を下したのは1890年。1898年に明治民法が施行され、女性の劣後的地位は急速に固定化されていきました。
福沢諭吉が「日本婦人論」で男女同権を主張し、植木枝盛は選出された高知の村会議長時代、婦人参政権を認める規則を制定しました。

日本では男女同権思想の受容過程は複雑に断線しています。
福沢諭吉は、自由主義的な民法制定案に政治的な思惑もあって反対に転じていますし、森有礼も当初は男女同権主義者を目指していたふしがあります(留学経験のあった森は、欧米流の一夫一婦制を主張し、福沢を証人として女性と婚姻を挙げています。)。
現在の日本社会の一般感覚に近い、自由民権運動家は植木ただ一人といっていい、女性史研究の著作をいくつも残した金子幸子はそう述べています。

その明治の初頭、はるか海の彼方のイギリスで、1869年、「女性の解放」は書かれました。
著者は、J.S.ミル。晩年の傑作ともいわれており、今でも多くの国で読まれています。

近代経済学、功利主義者ともいわれた彼が、なぜ男女同権論を主張したのか、「女性の解放」を共訳者として名を連ねる(※)、マルクス主義者の大内兵衛は、解説で次のように述べています。

...(「女性の解放」が古典たりえた理由は)ミルがまれなフェミニストであったからだ。それをいわないではこの本の解説は不十分であろう。というのは、ミルは通常テイラー婦人とよばれているミル夫人をこの上もなく尊敬していて、その夫人のインスピレーションによってこの本が書かれたといわれているからである。例えば、ミルはこの人を「最善の思想については、自分に霊感を与えた人」であるともいっている。また、「最善の著作においては合著者であった」ともいっている。この「女性の解放」についてもこう書いている。「この論文のうちで、最も著しくまた深いところは私の妻のおかげである…男女両性の間に存在しなければならぬ法律的、政治的、社会的、家庭的関係における平等に関する強い信念は、彼女から採用しあるいは学んだものと思われる人があるかも知れないが、それは絶対にそうではない。これらの信念は、私が政治問題に心を潜めた一番最初の結論というべきものであり、この信念の強さが、彼女が私に興味を感じた何物にもまさった原動力であったろう...」
「女性の解放」解説より(岩波文庫)

ミルは、1865年から1868年の間下院議員を務めており、現在の研究では、イギリス史上初めて、女性参政権を主張した政治家とされています。
もちろん、当時は唯一の議員でした。

実は当時、日本とイギリスの男女平等観には、決して大きな開きがあったわけではありません。映画「未来を花束にして」で描かれる、イギリスの女性参政権運動は、この50年ほど後、日本で青鞜社が誕生する時期に近いです。

「女性の解放」が書かれてから150年。
両国の男女平等は、どうしてこんなに差が広がったのか。

***

冒頭の写真でお見せしたように、右側の「女性の解放」には表紙カバーがありません。
私が10年ほど前、古本屋で入手したからです。

なぜ古本屋で入手したのか。
この本が絶版だったからです。

2019年に再刊リクエストを受けて、岩波書店が再刊するまで、この本は長く絶版でした。

この本を私はどうしても手に入れたくて、古本屋で当時購入したのですが、それはある人生の先輩からこんなことを教えられたからでした。

「フェミニズムを勉強するなら、まずミルの「女性の解放」は読んだ方がいいよ。200年くらい前の本なのに、日本ではミルが言っていることが何も解決していないから。」

当時身を寄せていた大学の図書館で借りて読み、愕然としました。
その通りだったからです。

そして今も、意見に変わりはありません。

***

それは、ミルとミルの後に続いた日本の思想家たちが、拱手傍観していた、と非難するわけではありません。

その当時、その当時の時代背景の中で、精一杯の戦いが繰り広げられました。

それでも、2021年5月3日の憲法記念日。
朝日新聞は男女平等についてこう見出しを掲げざるを得ませんでした。

「憲法あっても 途上の平等」

この連載はいささか気の重い内容です。
ですが、現実を直視しなければいけない。

そう自分に言い聞かせて書こうと思い立ちました。

フェミニズムとはとても言い難い私が、どこまで男女平等論に迫れるか、はなはだ心もとないですが、どうぞお付き合いください。

2021/5/5

foresight1974

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