水野家族法学を読む(16)「フェミニズムと家族法」

今月号の「法学教室」で言及されたフェミニズム。
水野先生は、どう取り込もうとしているのか、
foresight1974 2021.07.27
誰でも

フェミニズムと距離が置かれた表現

今月号(2021年7月号)の「法学教室」において、水野先生は、婚姻制度の存在意義を論じる中で、フェミニズムに部分的に触れておられます。

母性の健康な発現のためには、彼女が幸福に安心して生活できる環境が必要である。アメリカのフェミニズム哲学は、このようなケア提供者の社会的支援の、古典的形態として婚姻を位置づける。さらにアメリカ社会には社会福祉によって生活する母子家庭が多いことを反映してか、家族をカップル単位ではなく、母子単位で組み直し、シングルマザーにスティグマを与えない社会にすべきであるという理論にも発展する。
水野紀子「日本家族法を考える 第4回 婚姻の意義を考える」法学教室2021年7月号 P.93~94

さらに、法と経済学の議論から引用し、婚姻制度がゲーム理論的には、女性にとって、どのような「投資価値」があるのか、保険契約の理論を応用して根源に迫る議論を紹介しています。

※引用した文献は、アントニィ・W・ドゥネス=ロバート・ローソン編「結婚と離婚の法と経済学」(木鐸社)

しかし、先生ご自身は、前々回にご紹介したように、このように述べられます。

私は性別役割分業を肯定するわけではなく、育児も孤立した家族ではなく群れによる育児が、現代にも再構築されるべきだとは思う。仕事と育児が両立できるように、また育て方の下手な親でも育児できるように、育児支援のエアの社会福祉は、日本の現状よりはるかに充実することが必要であろう。また結婚はもとより子を産み育てるカップルにのみ認められるものではない。しかしそれでも、はるかな昔から次世代をはぐくむ社会制度として、婚姻は、子を育てる繭を構築する機能を果たしてきたし、今後もその役割を果たし続けるだろう。
前掲水野P.94

フェミニズムに精通し、キャロライン・クリアド=ペレス「存在しない女たち」を「痛快だ」と評価する水野先生にしては、フェミニズムにやや距離を置いた表現です。

水野家族法学とフェミニズムはどのような関係にあるのか。
次の論文から探ってみたいと思います。

<参考文献>
水野紀子「フェミニズムと法」大村敦志編『岩波講座・現代法の動態5法の変動の担い手』岩波書店125-147頁(2015年1月)

弱体なフェミニズム勢力の困難な道のり

導入部で水野先生はこのように述べています。

日本は、女性の人身被害を軽視する社会ではなく、日本の刑事法は、被害者の性別にかかわらず執行される。女性の参政権は、実際に行使されている。男女で異なる年齢の定年制を定めることは禁止されている。法が、日本社会を男女平等化するにあたって、大きな力をもってきたことはたしかである。そしてそのような男女平等を推し進める法は、世界のフェミニズムの潮流と不可分であり、明治民法をはじめとして多くの法はいわゆる外圧によって立法された。もとより外圧のみならず、日本社会の内部にもフェミニズムの動きはあって、その運動も法の変化をもたらしてきた。しかし国内外のフェミニズムの潮流もそれぞれ一様ではなく、それらの潮流を受けて日本社会や日本法が変化するとき、その変化にも、日本社会や日本法の特徴が働いて、諸外国と異なる日本独自の機能や限界が存在した。
前掲水野論文P.126

水野先生は、世界のフェミニズムの流れ、日本のフェミニズムの流れを概観しながら、こう述べます。

日本では、フェミニズムの力は強いものではなく、フェミニズムに反発する保守層には、第一波フェミニズムにさえ反発するいわば近代化以前の勢力が現存するため、多様化したフェミニズムも内部で対立する余裕はあまりないように思われる。そして国内のフェミニズム運動がその力だけで実際に法改正をもたらすことは比較的少なく、従来の大規模な改正は、いわゆる外圧によるものであったといえるであろう。
前掲水野P.128

とし、最近では1975年の国際婦人年、1979年の女性差別撤廃条約以降の動きが影響していることを解説されます。

この後、日本法とフェミニズムの沿革に関する解説に入りますが、ここで、今までの連載でご紹介してきた、明治民法の保守性や、家庭内の弱者保護に対する公的介入の欠如といった問題に触れられていきます。

その中で、フェミニズムは、当初は女性参政権を求める第一波フェミニズムであったものの、戦時体制への移行に伴い、市川房枝らが戦争遂行へ協力することで、女性の権利獲得を目指すようになり、大政翼賛会に参加したことや、女性たちが社会運営において主導権を担うようになったものの、男女平等化は敗戦を待たなければならなかった、と解説されています。

そして、戦後は、民主改革、日本国憲法の制定などによって女性の地位が一挙に改善され、とりわけ戦後民法の家族法改正は、「世界で最も形式的には平等なもの」として制定されたと評価されます。

しかし、一方で権利義務の内容を実効的に担保できないという明治民法の弱点は維持され、弱者保護、人権保護の機能を持たない家族法が、主に弱者たる女性の権利を保護してこなかったことを、離婚に関する有名な判例(最判昭和27年2月19日、最大判昭和62年9月2日など)を引用しながら指摘されます。

これに対し、戦後フェミニズムは「このような家族法の弱さを克服することよりも、形式的な平等のさらなる徹底であり、「家」制度の残滓の払拭であった」とされ、選択的夫婦別姓をめぐる動きとからめながら紹介されます。

水野先生はアカデミズムの側の人間なので、政治的な動きについてほとんど述べられていません。
つまり、戦後は強大な保守政権がほぼ一貫して政治を独占し、司法も隷従する中で、弱体であったリベラル・フェミニズムが、戦後改革の理念を保全するのにいっぱいいっぱいだった、という現実についてです。
あくまでも分析的な視点に終始しています。

日本社会の変化と追い詰められる女性たち

この論文の1つの特徴は、家族法だけではなく、労働法や社会保障法、刑事法の観点からも、女性の立場の変化について言及していることです。

戦後成立した、終身雇用制に代表される日本型労働慣行の中で、憲法の要請する男女平等化は、男女差別を明示した労働条件を否定する方向として働いたこと。男女別定年制を無効とした最判昭和56年3月24日などの存在や、男女雇用機会均等法などの例を挙げられています。また、フェミニズムの影響下で、男女共同参画社会基本法が1996年、いわゆる自社さ連立内閣下で制定されたことなどを指摘されます。

しかし、グローバリゼーションの進展とともに日本に入ってきたネオリベラリズムが、、福祉国家観を攻撃するイデオロギーとして浸透し、それに伴って女性の困窮化が進行した現実も指摘されます。

とりわけ社会保障法では、男女共同参画基本法後のいわゆるバックラッシュによって、旧来型の保守の価値観を唱道する政治勢力によって攻撃を受け、大きな問題を抱えていることが指摘されます。

「最後のセーフティネットといわれる生活保護は、家族法が保護できない妻たちにとって離婚後の生活を支える等、大きな機能を果たしてきたが、納税者の理解を得にくくスティグマとなるターゲット方式の仕組みをとっており、とりわけ現在の生活保護方式では、子どもの保護に特化した支援が著しく不足している。」

また、財の供給だけではなく、介護などのケアの供給についても著しく遅れていることが介護保険制度、成年後見制度、精神障害福祉、育児労働、児童虐待防止法の沿革を引きながら詳細に解説されています。

刑事法の観点からも、家庭内暴力や性暴力からの保護について、フェミニズムのはたらきかけにより、DV、ストーカー、レイプなどの犯罪に対する法改正の沿革な進んできたことを評価されつつも、多くの問題点を指摘されています。

一貫した「実質的平等」を目指す姿勢

本件論文には、結論部分がなく、概観を解説される論文であり、論文全体を通じて、水野先生が、ご自身がフェミニズムのどの立場に立つことは明らかではありません。

しかし、これまで同様、西欧法対比説的な見地から、日本法の限界を明らかにし、それぞれの問題ごとに最適な処方箋を示す、という地道な法解釈学の姿勢に変化はありません。

ただ、日本のフェミニズムが従来からとらわれがちであった(政治的事情を考慮すれば十分に仕方のない事情ですが)、形式的な平等をまず徹底しようという議論から少し距離がおかれ、積極的な公的介入による実質的平等を達成しようという、一貫した方向性は見て取れるように思えます。

(この連載続く)

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