水野家族法学を読む(2)「選択的夫婦別姓導入を見据えた戸籍制度改革」

学生向け法学雑誌「法学教室」(有斐閣)と勝手に連動したニュースメール企画。
家族法の第一人者・水野紀子東北大学名誉教授のエッセンスを追い駆けてみます。
foresight1974 2021.04.13
誰でも

【前回記事】

前回記事では、「法学教室」連載第1回の最大のポイントとして、日本の家族法は法の支配から除外することがシステムとして可能になったのか、という点について、水野先生は、家制度と戸籍制度によって可能になったこと指摘されている、とご紹介しました。

水野先生は、こうした問題意識を30年ほど前には持たれていました。
それを明らかにしたのが、有斐閣の法学雑誌「ジュリスト」1000号(1992年5月1日・15日合併号)に掲載された「戸籍制度」という論文です。

【2021.4.18更新】リンクが復活したため再掲します。
水野紀子「戸籍制度」ジュリスト1000号163頁~171頁

本当に「世界に冠たる」特異な戸籍制度なのか?

水野先生は、冒頭、戸籍制度が西欧の身分証書との違いについて、次のように述べます。

明治初期に戸籍が創設されたときには、戸籍制度は、現時点で存在する日本人をそれぞれの住居ごとにもれなく列挙するもので、むしろ現在の住民登録に近い存在であった。これに対して、教会における出生・婚姻・死亡の登録を発生源とする西欧法の身分証書制度は、基本的にはこれらの事件を立証するにとどまるものにすぎない。その結果、戸籍制度は、身分登録簿としては非常に特異な機能をもつ制度となった。すなわち、戸籍制度の神髄は、戸籍が同時に、国民登録であり、親族登録であり、住民登録であることである。
(水野紀子「戸籍制度」より)
身分証書制度においては、本人は身分証書によって自分の身分を証明することが可能であるが、本人以外の者が身分をたどることはきわめて困難である。もっとも身分証書制度をとる諸国においても、たとえば重婚の発生を防止するという観点からは、アメリカ法では出生証書に以後の身分行為が記載されないのに対して、フランス法では出生証書に婚姻等を記載させて婚姻の際に出生証書の提出を義務づけて重婚を防止しているように、国によって身分証書の証明機能に差異があるが、当該人物の出生証書の所在を知らない者にはその者の身分を知ることが原則的にできないという点で、身分証書制度が戸籍制度と基本的に異なる制度であることに変わりはない。国民の総背番号制やコンピューター登録の制度化は、国民のプライバシーに関する権利と政府との緊張関係をもたらすものとして、各国で問題にされているが、明治時代に確立して以来現在にいたるまでわが国の戸籍制度は、国民のプライバシーに関する権利に抗して政府が国民の情報を把握するという意味では、これらの制度を上回るともいえる、公開原則の下における国民の徹底的な登録制度であった。
(同上)

ところが、この国民登録制度は、戦前にはほぼ瓦解しつつあったことが、最近の研究で明らかになっています。

先日、私もnote記事でご紹介しました。

戦後も国民登録簿としての戸籍制度の骨抜きは続きました。

身分登録簿としての戸籍の機能を考えるにあたっては、戦後、現在にいたるまで、おもに度重なる戸籍法施行規則の改正として行われてきた、戸籍の「合理化」が検証されなければならない。戸籍が公開原則をとっていることと、戸籍の情報提供方法として記載事項の証明ではなく原本のコピーを交付する制度がとられていることのために、プライバシーや人権侵害が意識されるようになると、公開原則を廃棄する手段をとらずに、戸籍記載事項自体を省略化することが進められた。届書に記載された情報のうち戸籍に転記されるものは、次第にごく限られた情報のみとなり、しかも保存スペースなどの問題から同時に届出保存期間の短縮が行われた。これらの「合理化」の結果、戸籍が「身分登録簿としては不完全なものになってしまった」(島野穹子氏)という危惧を表明する戸籍実務家の意見を傾聴すべきであろう 。
(同上)

手続法が基本法を束縛する本末転倒

そして、戦後も「同一氏同一戸籍」の原則を維持したことをこのように批判します。

氏を同籍者の基準とすることは、氏の規律を戸籍と分かちがたく融合させ、本来は民法が決定すべき氏の規律を戸籍法や戸籍実務が左右するという混迷を招くものであった。同籍者を決定する「家」という基準が失われたときに、氏がその代替物として基準になりうる存在かどうかということについては、十分に検証されないままに、戦後の改正が行われたものと思われる。
(同上)

つまり、前回記事でご紹介した、「戸籍が民法を規律する悪弊」が戦後も維持されていることを指摘されるのです。

さらに論文は進んで、婚氏続称や渉外手続において、滑稽ともいうべき事例を挙げ、「民法上の氏」と「呼称上の氏」という概念を生み出してしまったことによって「混迷の度合いを深めている」と指摘します。

水野先生にいわせれば、そもそも、手続法に過ぎない戸籍法が基本法たる民法を束縛することが本末転倒でした。

氏の強制的な変更規定が存在する現在の民法の氏の規律は、人格権的な観点からみたとき、望ましいものとはほど遠い。たしかに「民法上の氏」と「呼称上の氏」の概念を分けることによって、本人の意思を反映した氏の決定が行われる場合がいくらかでも増えるかもしれない。しかしそれを理由に、この概念を採用することはできない。この概念で説明しきれない不明確な場合がかりに残らないとしても、氏の規律を、身分登録簿にすぎない戸籍を基準に決定するわけにはいかないからである。
(中略)
根本的には、日本国内法の氏の規律そのものを、より人格権的な観点から再構成する必要がある。氏の規律を戸籍法から切り離し、かつ民法の氏に関する規定を改善しなければならないであろう。とりわけ現在の夫婦同氏強制制度は、婚姻によって意思に反して自己の氏を奪われ、また自己の氏を保とうとすると婚姻の自由が奪われるという深刻な人権侵害をもたらしているものであり、至急改正されなければならない。改正にあたっていわれる、子の氏の決定や戸籍記載方法についての技術的な困難は、このような人権侵害を正当化するものではありえないと思われる。
(同上)

上記のような人格権に基づく、選択的夫婦別姓を正当化する法的構成は、論文発表当時では最新判例であった、NHK日本語読み訴訟最高裁判決(最判昭和63年2月16日)を意識したものと考えられます。

戸籍と相続の限界を指摘

そして、戸籍制度は、それが最もよく利用される相続の場面においても、限界をきたしつつあることを指摘します。

論文が発表された当時、まだバブル経済の記憶が生々しい時期です。

不動産価格の高騰にともなって遺言が従来よりはるかに増加し、また遺言執行者の定めを伴う公正証書遺言のケースが増えたことによって、判例が相続財産の取引の安定化の前提としていた前述した日本特有の事実が失われる傾向にある。いいかえれば、相続人を戸籍に公示することに依拠してきたわが国の相続法は、法定相続を変更する自由相続に対して、相続財産の取引安定という側面では基本的に非常に無防備な構造となっている。(中略)受遺者と差押え債権者間を対抗関係とした前掲最高裁昭和三九年三月六日判決にもかかわらず、この無防備な構造は解決されていない。たとえば、遺言執行者が存在すると民法一〇一三条の規定によって法定相続人が処分権を失うが、最高裁昭和六二年四月二三日判決(民集四一巻三号四七四頁)は、この場合に相続人の処分行為の相手方に受遺者が登記なくして対抗できると判示した。法定相続人とその法定相続分の相続財産を取引しても安心できない場合が、遺言執行者のある遺言の増加によって一挙に拡大すると思われる。わが国の相続法のかかえる構造的な難問である。しかし戸籍上の法定相続人を信頼した第三者をさらに幅広く表見法理で救済することは、遺言の効力を著しく奪うことになり、遺言制度自体を否定しかねないことになるので、妥当な結論ではない。この難問を解決するためには、戸籍に依拠した相続登記のあり方を含めて相続財産の取引の総合的な見直しが必要であろう。
(同上)

ちょっと難しい内容ですが、これは「相続と登記」という、民法学では基本的な法律問題について解説しています。

日本では、登記に公信力がないとされ、登記内容を信頼して取引しても、その実体がない場合、原則として取引の相手方は保護されません。
しかし、登記に対抗力は認められており(民法177条)、自分のものとして登記を移転しさえすれば、第三者に対抗、つまり自己の所有物として主張可能となる、という考え方を取っています。

上記2つの最高裁判例は、簡単にいうと、遺言があるかないかで結論が変わってしまうことを水野先生は指摘しています。

ご経験のある方はご存知でしょうが、通常、相続手続きには、相続人が出生時からの戸籍の変遷を全て戸籍謄本を取り寄せて、法定相続人であることを証明する必要があります。
ほとんどのケースでは、これだけで問題はないのですが、相続紛争が発生した場合、遺言が存在すると、その相続人は「登記なくして対抗(主張)」が可能、というのが最高裁判例であるため、法定相続人の相続権を戸籍があるからと軽々しく信頼することはできない、という危険性を指摘しているのです。

戸籍制度改革の提言は選択的夫婦別姓制度導入への地ならし

論文執筆当時、住民登録の活用が広がり始めたことも踏まえつつ、水野先生は、いくつか提言をしています。

①戸籍の公開制度の破棄
②戸籍謄本をそのまま交付せず、必要事項のみ謄本に記載する
③コンピュータ化の導入
④続柄の廃止
⑤個人戸籍の導入
⑥同一氏同一戸籍の撤廃

などです。

こうしてみると、当時広まってきた考えであるプライバシー保護の重視、戦前の家制度の残滓の除去、戸籍に伴って残った続柄の差別的記載の撤廃、そして、選択的夫婦別姓制度導入への地ならし、といった意図を読み取ることができます。

(この連載続く)

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