水野家族法学を読む(1)「法の支配はなぜ欠落したままなのか」
家族法の第一人者・水野紀子東北大学名誉教授のエッセンスを追い駆けてみます。
〔写真〕法学教室を買ったのは、たぶん20年ぶりくらい。w
今にして思い出せば、あればずいぶん場違いに明るい声だったと記憶しています。
昨年(2020年)2月、東京・恵比寿の日仏会館で開かれた、離婚後共同親権に関するセミナー。
木村草太東京都立大学教授の他のパネリストに対する意図的な挑発、見方を変えれば、推進派の矛盾を突く手厳しい講演の直後でした。
まばらな拍手に、「何やら株主総会みたいや。総会屋ばっかりや。」と苦笑いするのは、傍らに付き添ってくれた妻。
しかし、場の空気は一変します。
張り詰めた空気を全く読まない、明るい、朗らかな女性の声が響き始めました。
水野紀子東北大学名誉教授の講演でした。
時々ユーモア、というか一人芝居の小ネタを挟みながら、茶目っ気たっぷりに家族法の歴史を解説していく、それでいて、最後に共同親権に「消極的にならざるを得ない」としっかり釘を刺すことを忘れない。
凛とした女性だな、という印象を強く持ちました。
東北大学教授を退官後、白鴎大学で教鞭を取っていた水野教授ですが、今年(2021年)4月から、社会科学系の学術出版社・有斐閣が、法学部の学生向けに出している雑誌「法学教室」での連載がスタートしました。
タイトルは「日本家族法を考える」。
他の一線級の先生方と違い、これまで体系的な学術書を全く出したことのない水野教授が、初めて、自身が考える家族法の全体像を描き出す連載は、非常に注目すべきものであり、学術的にも価値が高いと考えます。
そこで、まことに僭越ではありますが、水野先生の連載を毎月レビューしつつ、合わせて、これまでの水野先生の業績から関連論文を紹介していこうという、まことに無謀な試みに挑んでみたいと思います。
白地規定への違和感
連載第1回のテーマは「日本家族法のルーツを考える」
1978年に東京大学を卒業後した水野先生は、我妻栄門下であり、当時著名な民法学者であった加藤一郎の助手として研究生活をスタートさせます。
当時、圧倒的に少数だった女性研究者。一生結婚しないことを約束させられた人や、そもそも女人禁制のゼミもざらにあった時代にあって、加藤は非常に紳士的に水野先生に接していたことを振り返っておられます。
水野先生が選ばれた研究対象は民法。ところが、水野先生は、日本の家族法の規定に強い違和感を持っていました。物権・債権といったいわゆる財産法と違い、白地規定、つまり「当事者の協議」に委ねる条文があまりに多かったからです。
学部生時代の回想で、これまた著名な民法学者であった、星野英一とのやり取りをこう振り返っています。
「両親は共同親権とされていますが、意見が違うことはあると思います。父親は地元の公立小学校に入れたいと思い、母親は自分の母校私学の幼稚舎に入れたいと思ったら、そしどちらも譲らなかったらどうなるのでしょうか?」。先生は、「そういう夫婦はうまくいかず離婚することになり、離婚の際に親権者が決まりますから、その親権者が決めることになります。」と答えられた。この解答には、まったく納得がいかなかった。
水野先生は、日本の家族法をこのように捉えています。
日本民法の「協議」という白地規定には、民法を適用することによって紛争に必ず答えが出なくてはならないという前提が成立していない。もしかすると、この背景には民法の問題のみならず、ルールに関する文化的相違があるのかもしれない。パリでバスに乗っていたときに、車内に掲げられていた、窓に関する次のような注意書きが目にとまった。乗客は開けたければ窓を開ける権利がある。ただし乗客のうちに開けたい者と閉めたい者がいる場合は、閉めておきたい者の権利が優先する、と。日本なら、乗客は譲り合って、というマナーが書かれるところであろうが、それは窓に関する対立を解決する情報ではない。ルールは、紛争を解決しなくてはならないのである。
そんな風変わりな法律をなぜ研究対象に選んだのか。
今回の連載では明らかにされていませんが、東北大学に在職時、オープンキャンパスの紹介記事では、家族法を研究する魅力をこのように語っています。
家族法については、学生時代から疑問を持っていました。民法を適用すれば紛争解決の答えが出るはずなのに、家族法の部分は、当事者の協議に委ねるだけで解決しないのです。研究室に残ってから、それは日本民法のいささか困った特徴なのだと分かりました。
当時から、自由や平等という短い言葉による正義よりは、具体的な問題に取り組んで、より確実に権利と法益を守る民法の方に魅力を感じていました。複雑さに耐えて思考し続ける大人の学問だと思ったのです。
(東北大学新聞2019年9月6日)
複合的な法継受を分析する
私も何冊か民法学の体系書は読んできた経験がありますが、水野家族法学の1つの特徴は、明治時代の近代化の過程で、複合的な法継受が行われた経緯を詳細に分析する点にあると思っています。
一般的な民法(家族法)の教科書の解説では、
①明治近代化でヨーロッパからの民法が輸入
②民法典論争
③フランスやドイツといった大陸法系を継受した民法制定
④家制度の成立
といった流れが大半です。律令制から始まった、日本法(主に武家法)の法継受について、詳しい分析がされることは、これまでほとんどありませんでした。
これに対し、水野先生は、明治近代化の過程においても、江戸時代の徳川幕府下における武家法の継受と影響を多分に看取しています。
それは、当時法典編纂に携わった実務家たちのほとんどが元武士であったことが原因でした。財産法では、個人財産、契約自由、過失責任など、近代市民法の原則のほとんどを、驚嘆すべき知性で換骨奪胎する一方、プライベートな紛争を取り扱う家族法については、内済、今でいう和解による解決が指向され、公的介入を企図する規定の多くが、制定過程で削除されていきます。
こうした特徴は、戦後民法にも色濃く残されました。
水野先生は、日本の家族法について、トム・ビンガム卿(イギリスの著名な法律家で、日本の最高裁判所長官にあたる貴族院長官をつとめた人物。「The Rule of Law」の著者として世界的に知られている。)が定立した、法の支配に関する7つのルール(※)のうち、第2ルール(法的な権利と責任の問題は裁量に依らず法の適用によって解決されなければならない)と第6ルール(当事者同士では解決できない民事紛争を法外な費用な過度の遅延なくして解決するための手続が提供されなくてはならない)が欠けており、水野先生は「日本はまだ法の支配が実現できていないように思われる。」と現状を評価されています。
※水野先生は7つとしていますが、ビンガムが定立したルールを8つとする解説もあります。(榊原秀訓南山大学教授「イギリスにおける立憲主義、法の支配と司法審査」南山大学紀要『アカデミア』社会科学編第16号P.76)
【用語解説】法の支配
専断的な国家権力の支配を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護する原理のこと。
芦部信喜によれば、①憲法の最高法規性、②個人の人権の不可侵、③適正手続、④裁判所の役割に対する尊重などを内容とする。(芦部信喜「憲法」岩波書店)
法の支配からの除外を可能にした家制度と戸籍制度
「法学教室」連載第1回の最大のポイントは、なぜ、日本の家族法は法の支配から除外することがシステムとして可能になったのか、という点です。
水野先生は、それが家制度と戸籍制度によって可能になったことを明らかにし、家族への公的介入を極力排した、「家族法の究極の私事化」が図られたと分析されています。
著作権の関係上、みなまで書くわけにはいかないので、その思想的背景については、ぜひ「法学教室」2021年4月号をご覧いただきたいのですが、次回のニュースレターで、関連論文からもう少し詳しく、水野家族法学のキーストーンを追ってみたいと思います。
水野先生の論文の中で、最も有名なものの1つ、「戸籍制度」(ジュリスト1000号P.163~171 1992年)です。
(この連載つづく)
【次回】
<紹介記事>
水野紀子「日本家族法を考える 第1回 日本家族法のルーツを考える」
(法学教室2021年4月号P.85~90 有斐閣)
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