憲法24条研究ノート(15)学説を問い直す③辻村説の到達点
<前回>
時間も空いていますので、前回のニュースレターの最終部分を再掲します。
<参照文献①>
君塚正臣「日本国憲法24条解釈の検証ー或いは『「家族」の憲法学的研究』の一部として」関西大学法学論集52巻1号(2002年)
辻村説には、何故二四条にこれほど強い読み込みが可能であって、そのことが憲法の全体構成に問題を残さないかを示すことが問われることになろうと思われる。社会権説の余熱も残っている印象もあり、それまでとは違う体系・解釈を目指す根拠は全体にあまり明確でない印象である。
辻村教授は、君塚教授の論文の14年後、その回答を提示します。
"家族の変容"へ対応した憲法学
<参照文献②>
辻村みよ子「憲法と家族」(日本加除出版)
はしがきによれば、「「家族が変わる」という予感が実感となり、「現代家族の変容」が法学分野でも頻繁に論じられるようになった。」として、2008年の国籍法違憲判決、2013年の婚外子相続分差別違憲決定、2015年の再婚禁止期間規定の違憲の判断などを挙げておられます。
そこで、「婚外子相続分差別違憲訴訟や夫婦別姓訴訟等の上記諸判決のほか、DNA鑑定と親子関係、代理出産などをめぐる新しい家族問題を取り上げて判例・学説等を分析し、憲法学の立場から論点整理と問題提起を行う。」
「本書では、可能な限り学際的な研究方法をとり、比較憲法学・憲法学のほか、民法学・社会学・歴史学・男女共同参画政策論など多角的かつ広範な視座にたって問題点を明らかにすることをめざしている。」そこに、辻村教授の憲法学や比較憲法学、ジェンダー法学の視点から多角的に家族問題を分析しよう、ということなのです。
本書の冒頭、「家族の憲法化」と題された見出しの中で、辻村教授はこのように問題を提起されます。
日本では、1990年代になってようやく憲法学でも家族問題が注目され、「家族の憲法化」が論じられた。実際、婚外子差別や男女差別等を理由として、家族をめぐる多くの違憲訴訟が提起され、DVなどに対する国家の介入が求められるようになって、「家族の憲法化・公化」が進んだ(1996年の民法改正案要綱の成立もこの過程で生じた必然的な帰結であったといえる。)同時に、自己決定の強調など個人主義的傾向が進展し、同性カップルなどの多様な家族やライフ・スタイルが承認されて、「家族の脱公序化、ないし個人化・私化」という局面も出現した。近代的家族の現代的変容が指摘され、現代家族における国家と個人の関係、および現代国家における家族の再定位が課題となった。
さらに2004年には、日本国憲法の改正論議のなかで、「共同体の観点から日本国憲法24条を見直す」という議論が出現し、新保守主義のもとで国家の保護や家族内の扶養義務の強化などが主張されて、家族像の選択が憲法問題・政治問題になった。家族の問題がテーマになることはほとんどなかった憲法学の学会でも、2009年には「憲法と私法」がテーマとされ、人権の私人間適用という問題関心のもとで、憲法と民法の関係について理論的・歴史的な検討が行われた。また、2014年度の日本公法学会では婚外子相続分差別最高裁意見決定に関する検討も行われた。
家族の変容と、それに対応する法学上の分析について、辻村教授は次のように論じています。
日本でも、家族モデルの分析は法学分野で広く行われてきていた。憲法学では、1980年代から、安念潤司がリベラリズム(厳密には、リバタリアニズム)の立場にたって契約的家族観を提示し、「個人の自己決定権を尊重するのであれば・・・・法律婚のみに特別の地位・特別の保護を与えるべきではない。」「法律の役割は、標準的・政党的婚姻関係を定立して、人々をそこに向かって慫慂することではなく、エンフォースすることに止まる」ことを指摘していた。国家主義的家族観や旧態然とした家父長制家族観ではなく、リベラルな契約的家族観を示すことは、リベラルな憲法理論が珍しかった時代には勇気のいることであったと思われるが、安念自身が述べるように「あらゆる人がリベラルという状況下では」さして特徴的なことではない。ただし、「両性の合意のみに基づいて」成立する両性の婚姻であることを明示する憲法24条の解釈として(安念のように)憲法上同性婚も保障されていると解釈する憲法学者は、増えているとはいえ、現在でも必ずしも多数派になったわけではない。このことからしても、リバタリアニズムに依拠する先駆的見解は特筆すべきものだったといえよう。
その後、2000年代にジェンダー法学という新たな学問領域が確立されるようになると、憲法学の分野でも、憲法構造自体をジェンダーの視点から見直す作業が開始された。このなかで、前述の女性差別撤廃条約16条などが徹底した男女間の平等を要請していることを受け、さらに公私二分論の見直しや「男女平等から個人の尊厳への重点の移行」につれて、個人主義的な契約的家族観を超えて、「近代家族ではない親密圏の創造」という観点が中里見博によって提示されるようになる。ここでは、「新しい共・協セクターの創出」という課題までもが視野に入っており、いわば、現代的な共同体的家族観への傾斜を見てとることができる。
これらの議論に並行して、家族法学の二宮周平によって、3つの潮流(a 家族の個人主義化、b 共同生活体の再構築論、c 多元主義とレギュラシオン)が提示され、このうちaの個人主義かを支える法制度が支持された。
その後は、近代の「強い個人」の自律権・自己決定論や契約論では解決しない公的扶助や介入の必要性を説く見解が有力となり、「ケアの倫理」の分析が家族社会学や政治学・ジェンダー学の領域で次第に重視されるようになる。
(ちょっと中途半端ですが、続きは明日で!!)
(つづく)
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