憲法24条研究ノート(14)学説を問い直す②辻村説への継承

社会権説は、2000年代に入るとジェンダー法の女性法学者が発展させていきます。
foresight1974 2021.10.15
誰でも

さて、前回ご紹介した金城説は、学説上どのように評価されたのでしょうか?

憲法、ジェンダー法学者として知られる中里見博大阪電気通信大学教授の下記解説によれば、金城説は「憲法14条の理解をめぐって批判を招くことになった」とされますが、具体的な批判の論旨は明らかではありません。

ただ、当連載でご紹介してきた、君塚正臣横浜国立大学教授の論文での指摘とほぼ同一ではないかと想定されます。

<参照文献①>
中里見博「フェミニズムと憲法学」大石眞・石川健治編「憲法の争点」(2007年 有斐閣)36頁

<参照文献②>
君塚正臣「日本国憲法24条解釈の検証ー或いは『「家族」の憲法学的研究』の一部として」関西大学法学論集52巻1号(2002年)

しかし、これを継承する形で憲法24条の新しい解釈展開を目指した憲法・ジェンダー法学者の1人が、若尾典子佛教大学教授です。

この回で一部をご紹介しています。

暴力からの保護としての24条

若尾教授は、主にワイマール期の家族保護条項とナチズムの研究から、近代国家による暴力から女性や子供といった家庭内の弱者をどう保護するのか、という問題意識の元で、憲法24条の新しい解釈論の展開を目指しました。

<参照文献③>
若尾典子「「女性の人権」への基本的視角」名古屋大学法政論集109号(1986年)
<参照文献④>
同「女性の人権と家族 : 憲法二四条の解釈をめぐって (森英樹教授退職記念論文集)」名古屋大学法政論集213号(2006年)
<参照文献⑤>
同「近代家族の暴力性と日本国憲法二四条」名古屋大学法政論集255号

軍事暴力の維持・強化には、特定の家族秩序の維持が不可欠である。これを否定する二四条は、九条とともに非暴力への希求を宣言している。
参照文献④P.140
そして、それゆえにいま一つは、男性の暴力を愛によって正当化してきた家族圏・親密圏の秩序原理を克服することである。二四条は、公共圏の課題を、特定の家族像の強制ではなく、現実の家族の多様性を受け止めるところに設定している。家族のありかたは「家」制度下であれ、近代家族制度下であれ、つねに多様であり、その意味で「家族解体」は現実の生活世界の姿である。そして現実の多様な家族が抱えている問題を公共圏の課題から除外しないことは、二四条の要請でもある。家族圏・親密圏における男性の暴力支配は、女性を性的服従とケア労働の強制へと囲い込んできた。ようやくいま、女性の性的自己決定権保障と、「ケア」(=家事・育児・監護・療育・介護)労働の保障が、「個人の尊厳」と「両性の平等」にもとづく人間社会の重要な課題となりつつある。二四条は、個人主義的でも、生存権的でもない、もう一つの解釈を成立させる規範構造を獲得しているといえるのではないだろうか。
同上

また、若尾教授は、後述する辻村説を批判する文脈の中で、次のようにも述べています。

「非婚、シングル・マザー、同性カップル」は、法律婚主義によって排除・差別されてきた。それは法律婚主義が、近代家族モデルを公序として強制する役割を担ってきたことを示す。このような法律婚主義のあり方こそ、家族保護条項を拒否した二四条が批判するものではないか。近代家族モデルからの逸脱とみなされる家族に生きる人々は、暴力の対象とさえなってきた。近代家族の暴力性は、妻や子どもという家族内部の構成員だけでなく、近代家族秩序に反する「逸脱家族」にたいしても向けられてきたのである。
参照文献⑤P.598
家族保護条項のないオーストリアにおいても、近代家族秩序の維持は暴力的に機能した。この近代家族にはらまれる暴力性を克服するには、家族関係における女性と子どもの人権という視点が不可欠であることを、ウィーン市の経験は示唆しているように思われる。それは、「家」制度の暴力性の克服に取り組んだ結果として登場した日本国憲法二四条が、近代家族の暴力性にたいしても有効な役割を果たすものであることを示している。もちろん、家族のなかに人権を確保することは、他の領域とは異なる介入方法の検討が必要である。しかし、私的であれ公的であれ、暴力の恐怖から解放されることは人権の基礎である。それゆえ日本国憲法は、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」としている。近代家族にはらまれる暴力の克服は、日本国憲法二四条の要請であると同時に、日本国憲法の平和的生存権保障のための重要な一歩である。
同P.612

そして、もう一つの方向性としての解釈論の切り拓いたのが、辻村みよ子東北大学名誉教授です。

14条から13条論への転換

中里見教授は、前掲解説の中で、辻村説を平等権論アプローチから権利論アプローチへの転換と評価されています。

女性の私的(家族・性的)従属からの解放を実現するには、家族・性関係における女性の身体的自由等を保護する消極的警察目的による国家介入、されには育児・就業支援など政策目的の積極的な国家介入が必要となるが、憲法上の権利の対国家性、消極性、形式性がその生涯となりうる。
参照文献①P.36
そこで、国際条約の展開を踏まえて、女性の「機会の平等」の実質的保障に向けて私的領域への積極的国家介入を求めたのが、金城清子の「社会権としての男女平等権」という主張であった。この主張は、憲法14条の理解をめぐって批判を招くことになったが、ここでは辻村が、金城に代表される「男女平等権の視座」から「女性の権利自体を問題とする人権論の視座」へ(14条論から13条論へ)の「転換」を主張してきたことが重要である。
同上
辻村の主張は、相対的平等概念・合理的差別許容という憲法14条解釈の通説の限界等を考慮し、さらに平等論の枠組みでは権利内容の問い直しがされず、いわゆる「男並み平等」の要求に陥る危険性を警戒してなされている。その危険を回避するために辻村は、「普遍的」人権が女性を排除してきた限界と歴史を直視し、現在問題となっている女性の身体的自由権等の視座を人権一般に拡大することで、人権の「普遍性」を実質化する意義を指摘する。
同上

また、君塚教授は、前掲論文の中で、辻村説の24条論を、14条・13条の特則のような主張と評価し、次のように分析します。

辻村みよ子は、二四条一項がを「『両性の合意』のみを要件とする婚姻の自由およびその消極面としての非婚・離婚の自由を個人に保障する。これは憲法一三条が保障する幸福追求権の一環としての個人の人格的自立権ないし家族に関する自己決定権(婚姻・離婚・妊娠・出産・堕胎の自由等)の具体化でもあ」るとする。次に同条項は、「夫婦の同党の権利と、それに基づく婚姻維持の自由を保障する」とし、「二五条の生存権の一環としての家庭生活の(経済的)保障を排除するものではないが、その場合にも個人の婚姻・離婚等の自由を侵害することは許されないと解すべきであろう」とも付言する。そして、「二四条二項は、配偶者の選択・財産権・相続・離婚等のほか「婚姻及び家族に関するその他の事項」に関する法律が、すべて個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならないものである」などとしているのである。生殖や性的関係における自己決定権は憲法一三条の射程内に含まれるかはよく議論されるが、辻村によれば、この議論をしなくとも、そのような権利の大部分は二四条により憲法上保障されるだけのこととなるであろう。
参照文献②P.30
辻村の立場によれば、この分野の問題とされてきたものは単なる平等の問題であるばかりではないことになろう。女性の再婚禁止期間規定については、「憲法一四条・二四条および」女性差別撤廃「条約一六条違反であり女性差別の規定である」だけではなく、「当該女性との結婚を望む男性の婚姻の自由や当該女性の再婚の自由を制約する点でも憲法一三条違反の疑いが強」いとしている点に、そのことがよく現れているように思われる。
参照文献②P.30~31

そして、次のように批判しています。

辻村説には、何故二四条にこれほど強い読み込みが可能であって、そのことが憲法の全体構成に問題を残さないかを示すことが問われることになろうと思われる。社会権説の余熱も残っている印象もあり、それまでとは違う体系・解釈を目指す根拠は全体にあまり明確でない印象である。
参照文献②P.32

辻村教授は、この君塚論文の14年後に、批判への回答を提示します。

それが「家族と憲法」(日本加除出版)です。

(この連載つづく)

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