憲法24条研究ノート(17)学説を問い直す⑤辻村説の到達点

辻村教授が到達した24条論。しかし、そこに意外な"待った"がかけられて。。。
foresight1974 2021.12.25
誰でも

<参照文献>
辻村みよ子「憲法と家族」(日本加除出版)

今週は、辻村教授が提示した憲法24条の解釈論に入ります。
辻村教授が論じる、憲法24条の解釈論・保障内容は次の通りです。

辻村教授の24条論

Ⅰ.婚姻の自由

憲法24条1項について、「両性の合意」のみを要件とする婚姻の自由、およびその小局面としての非婚・離婚の自由を個人に保障する。これは、憲法13条が保障する幸福追求権の一環としての個人の人格的自律権、ないし家族に関する自己決定権(婚姻・離婚・妊娠・出産・堕胎の自由等)の具体化でもあり、これらへの不当な国家介入は排除される。

「婚姻の自由」について、憲法学説では「何人も、自己の意に反する配偶者との婚姻を強制されず、また婚姻の成立にあたっては、当事者本人以外の第三者の意思によって妨げられない」自由であることとして理解される。ここでは「国家からの自由」すなわち、法律婚をし、あるいはしないことに関して国家による干渉を受けない自由が定められる。

Ⅱ.夫婦の同権

この解釈論は、辻村説の一番特徴的な部分です。
「夫婦の平等」でなく「夫婦の同等の権利」を定めている点に注目すべき、という主張です。「夫婦間の「平等」よりむしろ、その前提にあるはずの、夫婦が相互にもつ同等の「権利」である。」

ただ、この相違点は、従来必ずしも十分に自覚されてきたわけではない。憲法学では、「権利の平等保障」という場合の「権利」の内容を十分議論しないままに「平等」(平等原則ないし平等権)について、専ら差別の合理性の基準を論じてきたきらいがあった。また、家族法学の分野でも、旧来の家制度の打破や「夫婦の平等」という理念を重視しても、同条1項の「夫婦の同等の権利」の内容を自覚的に明らかにすることは目指されてこなかったようにみえる。
<参照文献>P.123
判例は、夫婦の同等の権利について、「個々具体の法律関係において、常に必ず同一の権利を有すべきものであるというまでの要請を包含するものではない」(夫婦財産制に関する最大判1961(昭和36)・9・6民集15巻8号2047頁)とするが、婚姻の自由に関する場合や女性差別撤廃条約に明記された諸権利「婚姻する同一の権利」(16条1項a)、「婚姻中及び婚姻の解消の際の同一の権利及び責任」(同c)、「夫及び妻の同一の個人的権利(姓及び職業を選択する権利を含む)」(同g)などについては、夫婦間に同じ権利が保障されなければならないと解すべきであろう。
同上

Ⅲ.婚姻を維持する自由

24条1項は、また、「婚姻は・・・・・相互の協力により、維持されなければならない」と述べて婚姻の自由と夫婦の同等の権利に基づく婚姻音維持の自由(婚姻の維持を妨げる立法の禁止等)を保障する。

辻村教授によれば、この自由は、憲法13条の保障内容とも重なり合うとされ、その根拠の1つとして最大判1987(昭和62)・9・2民集41巻6号1423頁(「婚姻の本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことにある」)を引用する。

一方、婚姻の維持は、憲法25条の生存権保障の一環としての家庭生活の(経済的)保障と重なる面をもつが、社会権保障の実現を重視する場合にも、個人の婚姻・離婚等の自由を侵害することは許されない、とする。

Ⅳ.立法上の原則

24条2項は、立法上の原則を定めているものである、というのが辻村教授の考えです。

配偶者の選択・財産権・相続・離婚等のほか婚姻・家族その他に関する法律は、すべて、「個人の尊厳」と両性の本質的平等に立脚して制定すべきことを立法府の義務として定めている、という考えです。

そして、24条2項は、憲法13条・14条の原則を家庭生活の場面に具体化したものであるが、家族法の制定・改廃に関する立法府の義務違反の問題はこの規定から直接導かれる、と考えています。

また、1項と同様、2項も生存権保障の一環としての家庭生活に対する国家の保護を排除する趣旨ではないと解されています。しかし、その場合も、憲法13条・24条に基づく個人の尊重や自己決定権を侵害することは許されない、とされています。

13条との関係-対抗関係と緊張関係-

本連載の第14回において、君塚正臣横浜国立大学教授は、辻村説を、13条・14条の特則、と解釈されていますが、実は、辻村教授はもう少し深く考察していると思われます。

憲法13条と24条との関係について、両者の関係を、辻村教授は次のように指摘しています。

(24条2項に基づいて)国家が保護を与える場合も、憲法13条・24条に基づく個人の尊重や自己決定権(例えば、法律上の婚姻に基づく家族の保護と抵触するような非婚・離婚の自由や堕胎の自由、シングル・マザー等の選択)を侵害することは許されない。反面、憲法13条を根拠にライフスタイルについての自己決定権を最大限に認める場合には、24条との抵触が避けられないことがあり、13条の保障内容や24条との対抗関係の検討が必要となる。
P.126

13条の保障範囲および射程について、人格的利益説と一般的自由説の2つの学説があることが知られていますが、辻村教授は、次のように問題を指摘します。

最近では、リプロダクションの自己決定権が「新しい人権」ないし自由として承認されていることについても、一般的自由説と人格的利益説、さらに後者の佐藤説と芦部説の間に差はないようである。さらに両説とも、ここに含まれる婚姻の自由と非婚・離婚の自由、産む自由と産まない自由(妊娠・避妊・中絶の自由)、子供をもつ権利と養育・教育権などが、憲法13条の保障の範囲内にあることを認めている。しかし、その場合にも、これらの権利が憲法13条でのみ保障されるのか、あるいは24条でもほしょうされているのかについては、必ずしも明らかではない。既にみたように、13条自体の理論的検討も、24条の解釈論も、いまだ十分なものになっていないためである。憲法学説の中では、自己決定権を限定する観点から、家族の形成やリプロダクションにかかわる権利は、13条の問題ではなく24条固有の問題とすればよいという見解も出現している。
P.126~127
そこで、憲法13条と24条の関係を検討する必要が生じるが、13条論については「新しい人権」論がさほど進展していないことや、、24条の国家保護請求権保障の側面を排除できないことなどからして、理解はさほど容易ではない。
P.127

辻村教授はそこで、次の4タイプに分けて論じます。

(A)13条と24条の双方で保障される自由
(B)24条のみで保障される自由
(C)13条のみで保障される自由
(D)13条でも24条でも保障されないもの

まず、24条の保障範囲について、法律婚による夫婦と嫡出子からなる家族を前提として家族形成権を捉える立場では、最も(A)の範囲がが狭くなり、シングル・マザーや同性カップルの選択は、(C)ないし(D)に含まれることになろう。
また、同性愛等を含む性的自由については、一般的自由説では(C)、人格的利益説では(C)ないし(D)に含まれると解される。もっとも、売春や強姦等について、とくに一般的自由説ではどのような理論構成をするかが問題になろう。人工妊娠中絶の自由については、リプロダクションの自己決定権として、一般的自由説と人格的利益説もともに(C)に含めると思われるが、胎児の生命権との対抗があるため堕胎罪の合憲性をめぐって議論のあるところである。
子どもを持つ権利(親になる権利)の実現手段としての人工授精・体外受精等についても、日本の憲法学ではまだ論じられていない点であり、憲法13条のみで保障されるのか、24条でも保障されるのか否か((A)~(D)のどこに属するのか)について、十分に検討されていない。

ただ、辻村教授は次のようにアウトラインは設定しています。

いずれにせよ、(A)ないし(C)に含まれる憲法13条の射程内の権利・自由についtげは、国家の不当な干渉は許されないことが帰結され、リプロダクティブ・ライツなどの諸権利の限界およびこれらに対する規制立法の合憲性が問題にされなければならない。
以上、P.127~128

辻村説の私見-やわらかい24条論-

憲法24条について、辻村説は、現在の憲法学で1つの到達点を示しているといえるのですが、君塚教授が評価されるほど、新しい視座を提示しているとはいえないと思います。

既に引用してきたように、辻村教授は、24条を伝統的な自由権説的理解を基軸にすえ、国家の不当な干渉の排除に重点が置かれています。
しかし、一方で、樋口教授に代表されるような、社会権説にも一定の理解を示しており、自由を不当に侵犯しない範囲で、国家保護請求権も理論上認めておられます。

辻村説は24条を13条の特則的に理解している、という君塚教授の評価はあながち誤っていないとはいえるものの、辻村教授の論考をよく読んでみると、簡明に結論づけていないことがわかります。24条の保障する各場面が、13条の幸福追求権に密接に関連してはいるものの、辻村教授自身、どの権利がどちらの条文の保障範囲なのか、あるいは重畳的に保障されるのか、という結論と整理を示していませんし、両条文は対抗関係にあることさえ指摘されています。

今までの学説の理論的対立にとらわれない、この辻村教授の解釈論の柔軟性はどこに由来するのか。それは前2回のニュースレターでみてきたように、現代家族の変容に伴い、24条をめぐる憲法解釈に変化が求められ、そして辻村教授が強調しているように、24条自体、時代を先取りした性格を持っていることに求められます。
ここが、君塚教授の批判への回答になっている点です。

辻村説は、従来の学説をいわゆる純一性(Integrity)的に理解・再構成したもの、と私は見ています。辻村説からは、排除された学説・否定された学説がほぼありません。かつ、それらを"いいとこどり"したのではなく、普遍的な幸福追求の権利を保護する目的に合致するよう、時代の変化に合わせて、各場面で問題となる法的権利について、それが効果的に保障されるよう再構成したものだといえるでしょう。

"まった"をかけた意外な人物

ところが、一見、理想に最も近づいた解釈論を提示した辻村説に対して、意外な学者が「まった」をかけました。

(とはいえ、本当にそう言ったわけではなく、学説とした対抗関係に立つ見方を提示した、ということなのですが。)

その人物の名は、水野紀子東北大学名誉教授なのです。

(この連載つづく)

※次は、2021年12月30日に配信予定です。

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