民法学の第一人者は、なぜ離婚後共同親権「反対」に転じたのか(8)「蹉跌」

2度にわたった離婚後共同親権導入案の翌年、水野先生の「ふとした発言」で実現した民法766条改正が、多くのシングルマザーを苦しめる、面会交流原則的実施論へながっていくー。
foresight1974 2021.09.19
誰でも

2011(平成23)年4月15日、衆議院法務委員会。
それは実に、奇妙な質疑でした。

質問に立ったのは、当時の政府与党であった、民主党(現:立憲民主党)の井戸まさえ氏。答弁は当時の法務大臣、江田五月氏(故人)です。

<参照文献①>
衆議院法務委員会2011年4月15日議事録

※太字強調部分は筆者(foresight1974)です。

【井戸】
民主党の井戸まさえでございます。よろしくお願いいたします。
今回の民法改正は、児童虐待が後を絶たず、深刻な社会問題となったため、虐待の防止を図り、子供の権利そして利益を擁護する観点から、親権の見直しについて法務大臣が法制審議会に諮問して、児童虐待防止関連親権制度部会で調査審議が始まりました。有識者などからのヒアリングを経て、中間試案というものが取りまとめられて、そこからパブリックコメントなども寄せられて、意見も踏まえて、第十回会議でまとめられたものと承知をしております。
今回、法改正の一つとされています面会交流の明示については、子の福祉にかなうものであるという前提で盛り込まれたものと期待はしたいところなんですけれども、ところが、そもそも法務大臣が法制審に諮問していない規定の見直しのために、親権制度部会で最終回まで全く議論がありませんでした。最終回の部会の議事録を見ますと、終盤で提案されたことがわかります。
私が取り組んでいます嫡出推定の規定の見直しや婚外子相続差別規定の法改正に至らない、民法改正をすることは本当に大変なことだという困難を実感しているんですけれども、ですから、九六年の法制審の答申の内容とはいっても、そのころとは、十五年たっていますから、かなり状況が変わっていて、この面会交流のところが、その議論がなされないままに今回入っていたところに関しては若干の違和感を持っています。
仮に諮問の対象とされていたならば、専門家の皆さんに御意見をいただいたりとか、パブコメでも、面会交流に取り組んでいる団体や実務者、あるいは当事者の皆さんから話を聞いて、貴重な意見が寄せられ、円滑な面会交流のための示唆があったのではないかと思うと、残念でなりません。

この規定が子の福祉に役立つということを確認して、よりよいものになることを願って、大臣は五十分までといいますので、大臣に伺いたいと思います。
子の監護についての必要な事項として、離婚後の親子の面会交流及び養育費の分担を明示するなど民法七百六十六条を改正した趣旨、そしてまた理念をお聞かせください。

【江田】
この規定を改正するに至った経緯について、委員今御指摘のような点があったのだろうと思いますが、しかし、多くの皆さんから、これは、七百六十六条第一項、監護についての必要な事項というのが余りにもざっくりとしたもので、そういう面会交流とか監護費用の分担についてきっちりと合意がなされないまま前へ進んでしまった、そのために後に禍根を残すというような事例がいろいろ指摘をされまして、もともと面会交流やあるいは監護費用の分担は決めなきゃいけない、あるいは決めるべきであるということなのに、それができていないということがあるので、あえてここで明確にしようということだと思っております。条文に明示することによって、協議上の離婚をするに際して、当事者間での取り決めを促すということでございます。
あるいはまた、これは副次的な効果ですが、こうしたことが明確に決まっていないということが、後に、親が一人で子育てをしている際にいろいろなリスク要因になっているということもありまして、やはり、こうしたことが明確になっていることが児童虐待の防止ということにもなるんじゃないかということでございます。
さらに、この改正について、子の利益の観点からしっかりと定める。これは二項の方ですか。子の監護に関する事項、あるいは面会交流、監護費用の分担が、離婚する当事者の利害対立が非常に大きくて、駆け引きの材料になったりして、子供のことが忘れられる、そんなこともあったので、子の利益を最も優先して考慮しなければいけない、こう規定に明記をしたわけでございます。

(fpresight1974:ここでご注目いただきたいのは、井戸氏の太字部分と、江田氏の「思っております」という答弁。江田氏は個人的印象を語っており、法制審議会の答申として、明確な説明を受け取っていないことが分かります。
さらに井戸氏は、「そして、民法に例えば面会交流というここの規定を明示したからといって、この面会交流自体がうまくいくということではないというのはおわかりだと思うんですけれども、この立法化と同時に、サポートの制度化というのが最も重要だと思います。」と指摘をした上で、次のように質問します。)

【井戸】
先ほど、面会交流がうまくいかない、局長がいろいろ指摘されていましたけれども、その中では入っていなかったんですけれども、やはりDVのケースがあると思うんですね。もう二度と会いたくないとか、かかわりは持ちたくないというのはまさにそのケースだとは思うんですけれども、例えば弁護士さんに寄せられたDVのケースでは、離婚後、元夫が嫌がらせのために頻繁に裁判所に面会交流の調停を申し立てたケースがあったりなんかするわけですけれども、家裁の審判においてDVのケースというのはどのような形で配慮されているのか、ここについてお聞かせを願いたいと思います。

(foresight1974:2021年を予言するかのような指摘ですが、当時の政府委員、原優氏(法務省民事局長)は次のようにかわしました。)

【原】
基本的には、家事審判官が事案に応じて個別に適切に判断しているものと思いますが、一般論として申し上げますと、面会交流の審判におきましては、子の福祉という観点から、子への虐待など面会交流を禁止、制限すべき事情が認められない限り面会交流を認めていると承知しております。
また、面会交流の頻度や態様につきましては、面会交流についての合意があるのかどうか、あるいは従前の面会交流の実績、監護していない親と子との関係、それから監護している親の生活状況ということのほかに、子供の年齢、性別、性格、就学の有無、生活のリズム、生活環境、あるいは面会交流を認めることが子供へ精神的な負担があるのかどうか、あるいは子供がどういったふうに考えているのか、そういったことを総合的に考慮して判断されているものと承知しております。
したがいまして、御指摘のDVの事案につきましても、審判においては、その具体的な事情を踏まえて適切な判断がされているものと承知しております。

***

しかし、原氏が述べたような"一般論"は、翌年、ある論文をきっかけに大きく歪曲されていきます。

一言言っちゃったどころではなかった

実は、この国会議事録を発見するまで、私は、当連載第1回でご紹介した、水野先生のこの発言部分を探しあぐねていました。

条文766 条の改正で面会交流という言葉を入れちゃったのですけれど、この所の改正の議事録を見て頂くとですね、「せめて条文に一言位は入れましょう。」と言っちゃった人の名前が書いてある。私なんですが。
2020年2月17日 日仏会館主催セミナーでの水野先生の発言(再現) ※当連載第1回参照

上記の国会議事録を手掛かりに、ついに探し当てました。
法制審議会児童虐待防止関連親権制度部会第10回(2010年12月15日)の議事録から。
井戸氏の指摘通り、この部会の最終回に突如として登場するのです。

<参照文献②>
法制審議会児童虐待防止関連親権制度部会第10回議事録
https://www.moj.go.jp/content/000064110.pdf

しかし、10年後の回想とは全く違い、ずいぶん長い。

水野先生は、これまでほぼ審議されていなかった、離婚後の面会交流について、このように切り出します。

今回の親権制度改正では,児童虐待防止関連の規定のみをそういう観点からだけ改正を議論してまいりました。つまり,嫡出でない子とか離婚後の共同親権という問題については対象になっておりませんでした。ただ,これらについても喫緊の課題であることは間違いないことでございます。
P.23

やはり。
2009年の離婚後共同親権導入案は、後年回想するような、水野先生にとって"単なる提案"ではなかったことが分かります。
そして続けて、このように提案しました。

議論されてこなかったので根本的な改革はもちろんできないわけですけれども,ただ,私だけがこのメンバーの中で,平成8年の婚姻法改正の法制審議会の身分法小委員会の議論に加わっていた者だと思います。その立場からもしこういうことを発言するならば私かと思いまして,発言をさせていただきます。この婚姻法改正の審議をいたしましたときに,別氏とか,あるいは五年別居離婚などがメインでしたので,親権については離婚後の共同親権も考えないではなかったのですが,現行法を前提として議論をいたしました。
同上
けれども,少なくとも離婚後の子の監護についてだけ,766条の改正において,面会及び交流とそれから子の監護費用について定めを置くということが,確か平成8年の婚姻法の改正の法制審議会の答申には含まれていたと思います。その提案については少なくとも当時の身分法小委員会では全く反対がなかったと記憶しております。既に法制審議会答申となってまとまっておりますので,この面会交流の部分,これを虐待関連の改正とともに,もし可能性があるのであれば,お考えいただけないかと思います。
P.23~24
ただし,この最後の回になってこういう発言をすることがいいことなのかどうか,非常に迷いがございます。民法について法制審議会を通さないで改正をされるという可能性について,私はかねてより非常に危惧をしておりまして,もし万一そういうことになると民法の体系性と安定性が危うくなると思います。民法の改正は,議員立法で簡単になされるのではなく,是非法制審議会の民法部会を通していただきたいと思っております。もちろん本当はここできちんと議論をした上で改正をしていただきたいと願っておりますけれども,でも,もし,そういう必要性があるようでしたら,議員立法でされるよりはここでちょっと瞬時,お考えいただいて,かつ平成8年の段階でいったん答申が出ておりますので,その可能性を含んでお考えいただければと思います。
P.24

これを同じく委員であった、大村敦志東京大学教授が支持し、「法制審議会で必要な審議を」を要望します。
水野先生はたたみかけます。

児童虐待関連のこの部会と関連のない提案ではないということだけを少しだけ言い訳をさせていただきます。子の奪い合いというのは,子にとっての虐待だと私は考えております。そして,それをどのように解決するかということは,DVケースへの対応も含めて,非常に難しい様々な問題をそれこそ長い議論をして考えなければいけない問題です。しかし,少なくともかつての日本には,離婚のときに片方の親が引き取ってしまいましたら,もう片方は,電信柱の陰から隠れてそっと見守るしかないというような文化があったわけです。
P.24
そういう伝統が非常に深刻な子の奪い合いを激化させているということは明らかですので,面会交流というものが実務上は認められてきたわけですけれども,それを条文の中に書き込むということがもし幾らかでも奪い合い紛争を緩和する要素がある力を持つことができるのだとすれば,必要な改正だと思います。そして児童虐待防止のための親権に関する制度の見直しという今回の改正とも,関連はある提案であろうと思って発言をさせていただきました。
P.25

大村教授がこれを再び支持。「平成8年に法制審でまとめられたものでございますので,それをそのまま立法するということで,支障がないということであれば,それをやっていただくということに反対する気持ちはございません。」

これを当時部会長であった、野村豊弘学習院大学教授が、事務方に検討を指示。

翌年、2011(平成23)年2月15日の総会に出された答申では、面会交流についての改正の明示はありません。井戸氏が指摘したように、諮問がなかったからです。
しかし、「その他関連する規定について,所要の整備を行うものとする。」という一節が入り、これが民法766条への政府提案につながっていった、とみられます。

実は、2010年(平成22)年3月からスタートした、この部会議論においては、水野先生の主張は、民法822条のいわゆる懲戒権の削除に集中しています。

<参考:当時の民法822条>
1 親権を行う者は、必要な範囲内で自らその子を懲戒し、又は家庭裁判所の許可を得て、これを懲戒場に入れることができる。
2 子を懲戒場に入れる期間は、六箇月以下の範囲内で、家庭裁判所が定める。ただし、この期間は、親権を行う者の請求によって、いつでも短縮することができる。

児童虐待の問題が深刻化し、親権の壁の厚さが問題となる中、この条文は多くの民法学者も削除を主張していました。

この時の答申では、822条は「削除」と答申されています。しかし、ご承知のように懲戒権規定は国会審議を経て見事に生き残り、「監護及び教育に必要な範囲内で」懲戒することが可能となったままです。

皮肉にも、この時答申に明記されなかった民法766条改正の方が、すんなりと実現したのです。

父権団体の"機先"を制したかったのか?

この当時、水野先生は法制審議会の委員の3期目。
2011年3月に退任を控えていました。

他方、父権団体による、次のような動きも見られました。

  • 2006(平成18)年日弁連第5回家庭裁判所シンポジウムのフロアパネリストだった監護親・別居親の3人が関わり、法制化できないか検討を開始。

  • 2008(平成20)年2月、3人が主体となって「面接交渉連絡協議会」が結成。院内集会が始まる。このときに後の親子ネット代表も院内集会に参加する.

  • 同年4月、別居親当事者が集まって親子ネット結成。別居親が有力支援者の国会議員の援助も受け、別居親団体で院内集会を始める。

  • 別居親団体の院内集会開始は2009(平成21)年1月から、6月に第5回を開催したところで当事者団体の一本化要請があり、面接交渉連絡協議会との院内集会交互開催で同年7月より実施。そのため、同月親子ネットの院内集会は「第11回(第6回)」となった。

※この父権団体の動きについては、後記note記事参照。関係者からforesight1974がうかがった話を記載しています。

上記の発言でお分かりのように、水野先生は議員立法を非常に警戒していました。
かつて、婚姻時に改姓した配偶者が、離婚後に強制的に復氏させられる問題の解決策として打ち出された婚氏続称制度が、議員立法できわめて短時間のうちに成立し、戸籍制度に大きな打撃と混乱を与えた苦い教訓をご存知だったからでしょう。

ここからは全くの推理ですが、水野先生の強引ともいえる改正提案には、いくつか理由があったとみられます。

① 1996年、身分法小委員会に携わり、法制審議会総会で決定までされていた、民法改正要綱を退任前に少しでも実現したかった。
② 当時の父権団体の機先を制し、政府提案→国会審議という手堅いルートで、体系性を維持した法改正を実現したかった。
③ 改正自体は、平成12年の最高裁決定以来、定着していた実務運用を確認する規定にすぎない、と考えていた。(実際に条文はそのような体裁になった。)
④ 長年の学問的研究に自信があった。前回ニュースレターでご紹介したように、面会交流は、親権を停止させたケースであっても、「子の利益を害する重大な理由がない限り、子と面会及び交流」させるべきであり、後述する面会交流原則的実施論に近い考えを持っていた。

しかし、2011年に国会で成立した民法改正は、意外な展開を見せることになります。

面会交流原則的実施論に抗って

2012(平成24)年7月。
最高裁判所家庭事務総局が発行している専門誌「家裁月報」に次の論文が掲載されました。

<参照文献③>
細矢郁=進藤千絵=野田裕子=宮崎裕子「面会交流が争点となる調停事件の実情及び審理の在り方」家裁月報64巻7号1頁

「在り方」論文、細矢論文、平成24年論文と様々呼ばれますが、いわゆる原則的面会交流実施論について書かれた論文です。

その詳細は、拙文で恐縮ですが下記note記事にてご紹介しています。

原則と書かれているからには例外がありそうなものですが、裁判所はその例外を、DVから逃れた女性たちに非常に重い立証責任を課したのです。

子の奪い合い紛争に困り果てていたのは裁判所も同じでした。
お役所特有の事なかれ主義と、因果を含ませる・言いくるめやすい方に説得の圧力がかかるというのは、日本のいろんな組織に見られる病弊ですが、そこに、もっともらしい法的構成と、あやしげな"心理学的知見"が加勢した。

その威力は猛威とか暴風とか形容するものであり、子どもが激しく拒絶しようと、DVがあろうと性的虐待があろうと、裁判所でよほど明白に立証されるのでなければ、面会交流が裁判所に命じられ、逆らえば多額の間接強制の圧力がかかる。

悲惨な実態は、下記の書籍で赤裸々につづられています。

<参照文献④>
梶村太市・長谷川京子編著「子ども中心の面会交流―子どものこころの発達臨床・法律実務・研究領域から原則実施を考える」(日本加除出版)

さすがに強く懸念されたのでしょう。
この書籍に水野先生も寄稿します。

<参照文献⑤>
水野紀子「DV・児童虐待からみた面会交流原則的実施論の課題」(所収:梶村太市・長谷川京子編著「子ども中心の面会交流―子どものこころの発達臨床・法律実務・研究領域から原則実施を考える」(日本加除出版)112-124頁)

水野先生は、これまでの連載でご紹介してきたこととほぼ共通する、日本の離婚法制の病理について敷衍した解説を述べられた後、次のように述べます。

離婚後の共同親権や非嫡出子の共同親権の立法はまえだ具体化していないが、日本法においても、2011年に成立した民法改正で、民法766条に面会交流が規定された。面会交流は、いわば最小限の親権行使とも言えるから、親権行使紛争への裁判所の介入がはじめて日本民法で明示されたとも評価できる。それは必要な改正であったし、将来的には、離婚後も共同親権行使を選べるように立法されたほうが望ましいであろう。
上記参照文献P.119

2015年当時に出されたこの書籍に寄稿された論文(2014年に脱稿したと思われます。)では、まだ水野先生は離婚後共同親権導入を支持していますし、民法766条改正を「後悔」していません。

しかし、このように続けます。

しかしあまりにも長い間「法の真空地帯」に慣れていた裁判所には、この問題に対応する準備がきわめて不十分である。とりわけ家庭内に暴力があるDVケースにおける共同親権行使や面会交流においては、慎重に対処しなければならない。共同親権行使や積極的な面会交流は、家庭内の暴力から有効に救済する準備とセットで行われる必要がある。共同親権行使や積極的な面会交流が教条主義的に望ましいとされると、DVからの救済システムが整っていない日本では、暴力の現場に当事者を拘束することになりかねないからである。
同上

ところが。。。

けれどもそれを理由に後戻りをして「法の真空地帯」に留まる選択肢も、もはやとれない。子の奪い合い紛争が自力救済に任されると、子は実力による奪取の対象となるため、監護親の自衛的行動や非監護親の奪取行動が、子の健全な成長を阻害し、子の心身に深刻な悪影響を及ぼす。あらゆる手段を使って実務を改善して前進するしかないのである。
同P.119~120

失礼ながら、学者が書くべき文章ではない。
単なる強引な精神論に堕しています。

示せなかった解決策

つづくP.120からは、「介入の手段と方向性」として、様々な検討がされています。

① まず、著名判例である最決平成25年3月28日、面会交流の間接強制を認めた判例ですが、水野先生は、「これほど堅く設計された面会交流でなければ強制執行できないとなると、実務は運営に困難を来すだろう。」と批判されます。

② そして、「両親が継続して協力し、柔軟な設計をする」面会交流を支持され、その協力を支援する試みと共に、刑事制裁のサンクションの必要性を指摘されます。

③ また、親権者による子の奪取に未成年者略取罪の成立を認めた、最判平成17年12月6日の滝井判事の少数意見を引き合いに出しながら、家庭裁判所には、現状を変える力を持たず、水野先生がいうところの"自力救済"が横行している現状を指摘します。

④ 一方で、DV被害の深刻さから、「彼女の逃げる自由を封じるような解釈、つまり子どもを連れて逃げることを封じる解釈をとるべきではない」とも言います。

⑤ そして、ハーグ条約批准問題、共同親権者間のトラブル、子の奪い合い紛争は、家族法に法の保障がない欠陥を浮き彫りにし、社会の輪のもっとも弱い部分に被害が集中していると分析します。

⑥ しかし、こうも述べます。「それでは、日本では、自力救済によるしかない現状のままでいたしかたないのであろうか。それは、現状の悲惨を固定することになる。被害者の支援や援助が圧倒的に足りない現状であっても、公権力が家庭に介入し、子どもの復氏を見極めて両親間の紛争を解決する方向に一歩でも進めるべきであろう。面会交流を明示した民法766条の改正も、その方向への政策の切り替えの一環として理解したい。」と、自身が関わった法改正を再び擁護します。

⑦ そして、「面会交流として顕在化した虐待問題を、面会交流を禁じることによって解決することはできない。面会交流を保障しないことは、実際には家族を「法の真空地帯」に放置することを意味する。」

⑧ 「児童虐待という病理に対する正しい対処方法は、虐待親を処罰することではなく、親を支援して親子を共に救済することである。緊急時に親子を切り離すことはもちろん必要であるが、それは将来の再統合を視野に入れた応急措置であることが原則であって、親を教育・支援しながら親子の交流を目指すのが本道である。」

⑨ そして、弊害については、FPIC、児童相談所との連携、家庭裁判所内での面会等によって対処し、「しばらくは、問題の本質を理解した上で、安全な面会交流を実現するあらゆる努力を続けるしかないのだろう」と結びます。

***

つまり、誰にでも書けるような、現実を踏まえた一般論が結論であって、解決策は示されない。

お読みいただいてお感じになられているでしょうが、文章相互に矛盾といっていい箇所もあります。(②と④、⑤と⑥など)

不勉強な人間が、はばかりながら率直に評すれば、これは解決策とはとてもいえない。
水野先生の中では一貫した視座がおありかもしれませんが、伝わる一貫性はない。

もっといえば、迷われているようにもみえる。
それが、ちょっとわかるようなやり取りがありました。

それは誰に対する権利なんですか?

<参照文献④>は、最終章に座談会(2014年6月14日)の様子が収録されています。
水野先生もご参加になっているのですが、このとき、長谷川京子弁護士(兵庫県弁護士会)との間で、ちょっとしたやり取りがありました。(P.336~337)

水野先生が、梶村太市弁護士兼常葉大学教授に、面会交流を「子どもに会わせてもらう権利である」と説明したくだりです。

【水野】
今説明した意味では、親の権利ですね、父親の権利。でも、繰り返しになりますが、自分の権利として子どもに無条件に会えるという権利ではありません。なぜなら、最上の利益は子どもの福祉ですから。
でも、父親はそのとき自分が「おまえは悪いやつだから会わせてやらないよ」と言われているのではなくて、自分も治療されながら、つまりサポートされながら、子どもと親として接触できる機会を求める権利は、社会に対してあると思うのです。

【長谷川】
その権利は、誰に対する権利で、誰が義務者なんですか?

【水野】
親権は、まず社会に対しての権利であると同時に、社会に対しての義務でしょう。でも、子どもに対しての権利であると同時に、子どもに対する義務であるという、そういう側面もあるのじゃないですか。
(foresight1974:この水野先生の理解は、親権の法的性質に関する基本論点、いわゆる司法義務説と公的義務説を踏まえたもので、水野先生は我妻説(公的義務説だが"社会に対する義務"とする)に近い構成を想定されていると思われます。)

【長谷川】
子どもが義務者なんですか。

【水野】
まず社会に対してと言ったほうがいいでしょうけれど、親が親権を正当に行使する場合は、子がその行使対象になる義務はあるでしょう。

【長谷川】
権利だったら、誰に対する義務なのかということがちょっと気になるので。会いたいと要求する、名宛人は誰なのだと。社会に対して、家族とともに暮らす権利を侵害しないでくださいとか、それはわかると思うんです。でも、誰かに対して、私と暮らせよと要求する権利というのは、向けられた人はどうする、というのがあるものですから。
権利というとすれば、社会的には会えるように誰か助けてくださいという、助けを求める権利かなという感じがしますけどね。
(foresight1974:長谷川弁護士のこの理解は、面会交流に関する重要判例である、最決平成12年5月1日の調査官解説に近いと思われます。参考:杉原則彦「最高裁判所判例解説民事篇平成12年度(下)」511頁)

***

水野先生は、子どもの利益を最上としながらも、すでにご紹介してきたように、問題のある親の支援のため、様々に子どもが反射的に義務者として協力させられることを受容しています。

しかし、長谷川弁護士はこれに反対であり、この座談会では、「面会する親の権利というのを法律上規定すると、「子の最善の利益」が消し飛んでしまう、と懸念している」とも述べておられますが(P.349)、子が反射的に義務者となる水野先生の解釈を許容できなかったのです。

***

水野先生は、長い研究生活を通して、児童虐待問題の深刻さを十分すぎるほどに分かっていました。

でも、それは正義が不可知であり、民法は相互の対立する正義を調整する法体系であるという、プラグマティズムな思想を持つ水野先生にとって、必ずしもトッププライオリティではありません。

往々にして悲惨な展開となる紛争の、"早期解決"に主眼を置くあまり、子の安全をおそらく無意識に、結果的に劣位に置いています。

おそらく事前の根回をしたであろう、法制審議会での唐突な提案で実現した民法766条改正は、そうした紛争から、「家庭内の弱者」を少しでも解放できるはずでした。

だが、結果は逆行した。
司法全体を覆う事なかれ主義や、中核的ポジションにいた一部の司法エリートたちの硬直的で教条主義的な思想が(水野先生にとっては)思わぬ形で露頭し、少しでも実現するはずだった水野先生の離婚法制の理念は、最悪の形で頓挫しました。

その現実を受け入れ、離婚後共同親権への主張を転回することになるのは、それから約3年後、ある新聞への寄稿からになります。

<第9回>

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