民法学の第一人者は、なぜ離婚後共同親権「反対」に転じたのか(7)「泥濘」

3年後の2009年に発表された、水野第2次案。批判を浴びながらも、なぜ水野先生は離婚後共同親権導入案を押し通そうとしたのか。
foresight1974 2021.09.16
誰でも

泥濘(ぬかるみ)

2009年に発表された水野第2次案の11年後。
2020年2月に日仏文化会館で開かれた、離婚後共同親権に関するセミナーの席上。こんなやり取りがありました。

離婚後共同親権賛成派に立つ、井上武史関西学院大学教授が、当連載第4回以降でご紹介している、水野先生の論文(所収:中田裕康編「家族法改正 婚姻・親子関係を中心に」(有斐閣))を取り上げ、面会交流についてこのように述べました。

水野紀子先生は「祖父母はとの面会交流は大事なんじゃないんですか。」と提言しておられまして、私がレジュメに真面目に書きましたけれども、民法学者のなかでもこのような人権に配慮した考え方を出来る方がいらっしゃるんだなと嬉しく思っています。
井上武史関西学院大学教授の発言(再現)より ※1

井上教授は、「してやったり」の心境だったことでしょう。

だが、井上教授は、この本を読んでいたならば、水野先生が(かつて)離婚後共同親権導入論を主張されれていたことをご存知だったと思います。
そこは指摘しないで、面会交流の部分だけ指摘する。

取りようによっては、いささか下品ともいえる引用・指摘の仕方ですが、水野先生は、このように返しました。

先ほど井上さんが私の条文を引用して下さったのですけれど。これはですね。「将来的にそうなるといいな、」という事で書いた論でして、いわば日本は土台がぬかるんで家が建たない状態です。土台がぬかるんで家が建たない状態の時に「西洋風の建物が建つといいね。という提案を色々書いてみました。」という事です。将来的にはそうなると良いと思うのですけれど、まず、残念ながら日本の現状、子ども達を本当に守れているか?という現状を前提として、今の共同親権の是非を考えなければならない。そんな観点から言いますと現段階では消極的にならざるを得ない。
水野紀子東北大学名誉教授の発言(再現)より ※1

ぬかるみねえ。。。かなり弁解がましいな。
と思ったのが、当時の率直な感想です。

水野先生としては、偽らざる心境だったと思います。それは、ここまで6回の連載記事を書くまでに調べてきたので理解できます。
実際に、日本の離婚法制は、まさに泥濘としか表現しようのない状態だからです。

が、その中にあって、かなり強硬な離婚後共同親権導入論を提案した水野先生は、それなりに自信のある提案だったはずです。
なぜなら、批判を受けても提案をほとんど変更しなかったからです。

<参照文献①>
中田裕康編「家族法改正 婚姻・親子関係を中心に」(有斐閣)119頁以下。

引き合いに出されたハーグ条約

2009年9月、「ジュリスト」に掲載された6本の家族法改正提案。
引き続き親権法を担当していた水野先生は、再び離婚後共同親権の導入を提案します。
(水野第2次案)
その提案の背景説明は、今までの連載でご紹介してきた内容とほぼ共通していますが、これに加え、当時導入が迫られたハーグ条約を引き合いに出し、このように述べてもいます。

戦後民法改正過程におけるGHQの疑問とそれに応接した日本人起草者のギャップを先述した(※2)が、ハーグ子奪取条約をめぐる国際的摩擦は、このとき日本人委員がGHQの要請を意味がないと判断した彼我の認識ギャップの延長線上にある。条約に加盟している諸外国からは、日本の家族法がかくのごとく「非常識」であることを容易に認識できないため、いわば黒船によって開国を迫られている状態にある。明治期に外圧によって民法の立法が可能になったように、条約を批准するために、外国人配偶者との子の奪い合い紛争についてとりあえず諸外国並の支援を準備することを契機に、国内の日本人間の紛争介入体制もそれに匹敵するようにつくりあげていくのがとるべき道筋であろう。
前掲参照文献P.124~125

こうしてみると、この当時の水野先生は、後年、賛成派が主張するような論拠とさほど変わらない論拠を考えていたことがよく分かります。

改正目標

水野先生は、第2次案において、改正目標を3つ挙げました。

①婚姻中に限られている共同親権を、離婚後にも認め、子の育成に両親を関与させ、親権の奪い合い紛争を鎮静化する。

②両親間の調整を図る手段がない問題の解決。共同親権者間の親権行使における紛争に確実に介入できるように改正する。

③不適切な親権行使に対する制約・監督手段の充実。実効化。

また、改正条文は既存の条文をなるべく尊重するという現実的方向性を打ち出しています。これは、1996年、当時水野先生が法制審議会幹事として参加していた民法改正要綱が、当時の自民党保守政治家たちの強硬な反対で潰されたという、苦い経験から来ていると思われます。

条文案

E-1条(現行820条) ※1次案から変更なし
親権を行う者は、子の利益のために、子の監護及び教育をする義務を負い、権利を有する。

E-2条(現行818条) ※第4項が追加
1 成年に達しない子は、父母の親権に服する。
2 子が養子であるときは、養親の親権に服する。ただし、養親と父母の一方が婚姻中は、夫婦が共同してこれを行う。
3 親権は、父母が共同してこれを行う。ただし、父母の一方が親権を行うことができないときは、他の一方が、これを行う。
4 父母の一方の配偶者は、配偶者である父母が子と同居して親権行使を行う場合に、必要に応じて配偶者に代理してこれを行う。
5 父が認知した子に対する親権は、〔本条3項の規定にかかわらず、〕父が母の同意を得て戸籍に共同親権行使の届け出をしたときに限り、父母が共同してこれを行う。
6 父母が親権行使の事務について協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所は、父若しくは母の請求又は職権によって、親権行使の態様を定めることができる。

E-3条(現行819条) ※1項に文言追加あり。
1 父母が協議上の離婚をするときは、その協議で、親権行使の態様を定めなければならない。
2 裁判上の離婚の場合には、裁判所は、親権行使の態様を定める。
3 父母が別居しているときは、父若しくは母の請求又は職権によって、家庭裁判所は一方の父母の親権の全部又は一部を停止させ、また停止させた親権を復活させることができる。
4 親権を停止させた父母は、子の利益を害する重大な理由がない限り、子と面会及び交流することができる。

E-4条 ※変更なし
祖父母は、子の利益に反しない限り、子と面会及び交流することができる。家庭裁判所は、子の利益に必要な場合には、子の養育にかかわる正当な利益をもつ第三者の請求によって、第三者と子の面会及び交流に必要な措置を命じることができる。

E-5条(現行822条削除) ※変更なし
子は暴力によらず教育される権利を有する。

E-6条(現行826条) ※変更なし
1 親権を行う父又は母とその子との利益が相反する行為については、親権を行う者は、その行為の許可を家庭裁判所に請求しなければならない。
2 親権を行う者が数人の子に対して親権を行う場合において、その一人と他の子との利益が相反する行為については、親権を行う者は、その行為の許可を家庭裁判所に請求しなければならない。
3 家庭裁判所は、当該利益相反行為が子の不利益になる場合には、その行為を許可しない。
4 家庭裁判所の許可を得ずになされた利益相反行為は、無効とする。

E-7条 ※文言の一部修正
親権を行う父母は、自己の管理下にある、子が相続によって取得した財産を処分するにあたって、家庭裁判所にあらかじめ許可を得なければならない。

E-8条(現行834条)
父又は母が、親権を濫用し、子を放置することによって、子の身体的、精神的健康を危うくしたときは、家庭裁判所は、子又は子の養育にかかわる正当な利益をもつ者からの請求若しくは都道府県知事からの請求又は職権によって、その親権の全部若しくは一部を失権させ、又は子を養育する者若しくは都道府県知事に委譲することができる。

【注記】
条文案については、上記参照文献P.131~149と条文の体裁を一部変更しています。なお、規定の文章は忠実に引用しています。

※印が、当連載第5回でご紹介した条文案との差異です。主要な条文にほぼ修正の手が入っていないことが分かります。

そして、18ページにも及ぶ条文案の解説を読んでみると、2006年3月に開催された座談会での指摘は、ほぼ活かされていない。わずかに、母の同意に関する文言が変更されているだけです。

骨格は揺らがなかったのです。

質疑応答で見せていた「強気」

この改正提案は、2009年10月、成蹊大学で開催された私法学会シンポジウムで発表、質疑応答が行われてました。(当連載第4回でお話しした、成果③)

<参照文献②>
「家族法改正・シンポジウム」私法72号3-52頁(2010年)
※J-STAGEで確認可能です。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shiho/2010/72/2010_3/_pdf/-char/ja

冒頭、立法理由を瀬川信久北海道大学から説明を求められた水野先生は、欧米の立法例や子の奪い合い紛争を鎮静化する目的等を挙げ、「自分の二人の親とかかわりを持ちながら育つ権利が子にあると考えれば、このような改正は当然」と言い切っています。(P.34)

一方で、実務家や一部研究者からの批判も理解しており、「確かに悩ましいところ」としつつも、「理念的には、共同親権であるべき」であり、「あるべき方向へ向けて、大変でも整備することを目指すことによって、現状の困難に立ち向かっていくべき」と主張されます。(P.35)

現状が泥濘であることは十分に認識されていたわけです。

だが、この記事の冒頭に戻ってみましょう。
11年後、水野先生「西洋風の建物が建つといいね」という期待で書いたという弁明。
そんな説明はどこにもない。

これまでの水野先生の論考を読み、「立ち向かっていくべき」という決意を読む限り、水野先生は当時、「やる気十分だった」と評価するほかないと思います。

泥濘に建物を建てるべきだったのか?

だが、その家は、本当に"西洋風の建物"だったかというと、いくつもの疑問が浮かびます。

① E-2、E-3条を読む限り、原則を共同親権に転換したが、結局、実務上・学説上において最大の論争点の1つである、親権者間の意思の不一致の場合の調整規定がないため、コンフリクトの問題を解決できない。
司法介入の規定がE-2条6項に定めらているが、裁判官への解決の指針を示す規定はなく、水野先生が長年批判してきた、裁判官の裁量権の弊害に直面する。

② E-2条2項は、いわゆるステップファミリーに対応した規定であるが、夫婦が親権行使者となった場合の、別居親の親権の取扱いが、条文上明らかではない。
仮に、別居親の親権が残存する取扱いの場合、日本のステップファミリーのほとんどが、いわゆるスクラップアンドビルド型であるという現実と整合しない。

③ Eー2条5項のように、非嫡出子の場合だけ、共同親権に「母の同意」を要求する強力な楯を用意しているが、それを正当化する立法事実は、いずれの文献からも明らかにされていない。
共同親権の弊害(虐待・DV・ハラスメント等)は、婚姻中・離婚後、嫡出子・非嫡出子の区別なく共通して生じる構造的問題と考えられるが、非嫡出子の場合だけ楯を用意するのは整合性を欠いている。

④ 実は、Eー3条1項、2項は、離婚後の共同親権において、さほど実効性のある規定ではない。「態様」の定め方次第では、事実上の単独親権化も可能である(参照文献②の質疑応答で、水野先生も認めている。)。
そうだとすると、離婚後の単独親権が選択できない理論的理由が不明である。

⑤ E-3条4項は、面会交流の権利が親権に含まれることを前提にしているが、これは、最高裁判例の整理(「子の監護の一内容」とは述べているにとどまる)とは大きく異なるし、少なくとも親権者に「面会交流の権利(請求権)」を認めているわけではない。
また、「子の利益を害する重大な理由」の存在を、面会交流を阻止する側に主張・立証事項として要求しており、かえって紛争が激化するのではないか。

と、いったところが私見としては思いつくところなのですが、前回取り上げた、座談会における、2人の研究者の肯綮を突いた発言に、対応した考察をしなかった"甘さ"が露呈している感じは否めません。

内田貴東京大学教授
「共同親権、子どもの福祉という場合には、何が子どもの福祉か、何が子どもの幸福か自体が争われていて、つまり、どういう環境の下で育てられることが子どもにとって幸せなのかということ自体について異論があるのだと思います。」

角紀代恵立教大学教授
「現在の日本の状況を前提にする限り、水野さんが離婚後の共同親権を提案される理由は十分に説得力を持っていないように感じました。離婚後も子どもがどちらかの親と完全に縁を切ってしまわないほうがいいという価値判断は、私も賛成です。しかし、そのための方法は共同親権に限られるものではないと思います。また、水野さんの発言にもあるように、離婚後の共同親権がうまく機能するか否かは、離婚後の夫婦のあり方、遡れば、夫婦のあり方に関わると思います。男と女として、やっていけなくなったから離婚するという土壌だったら、離婚後の共同親権は機能するでしょうが、よい悪いという問題ではなく、客観的に見て、日本は、このような状況から程遠いのではないでしょうか。」

特に角教授の発言は、水野先生の11年後の発言を先取りしたと評価できるもので、「泥濘に西洋風の建物を建てようとした」のが、水野第2次案だとしたら、「そもそも泥濘を取り除くべきなのでは?」と指摘したのが、角教授だった、といえるのではないでしょうか。

しかし、水野先生はこの時期、離婚法制を思い切って転換するべきだと考えていたのでしょう。
ご無礼を承知で申し上げると、そこに迂闊さが潜んでいました。

御講釈という誹りを承知で申し上げるならば、それは、水野第2次案のE-3条4項「4 親権を停止させた父母は、子の利益を害する重大な理由がない限り、子と面会及び交流することができる。」という規定に潜んでいた、といえるのではないでしょうか。

<次回>

【脚注】
※1
井上先生および水野先生の発言(再現)の掲載にあたっては、2020年2月17日に日仏会館で開催されたシンポジウムの内容を、参加者数名が個人的に記録し、相互にシェアしたものをforesight1974の責任において再現し、両先生が発言したとされるものとして掲載しています。
内容は日仏会館より公表されていないものですが、重大な公益性があると考えており、foresigh1974個人の責任において公開しています。
当該再現部分は、個人の努力と誠実さが及ぶ限りの正確性を期していますが、完全なものではありません。
なお、当該再現部分を含め、本記事の文責は全面的にforesight1974が負っています。

※2
参照文献①P.121に、共同親権行使への介入方法が、戦後民法改正で議論になったが、我妻栄ら日本人起草者は、GHQの提案に理解を示しつつも、導入に消極的だった。

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