民法学の第一人者は、なぜ離婚後共同親権「反対」に転じたのか(6)「論争」

熟慮の末に提案された水野先生の離婚後共同親権導入1次案。しかし、座談会の場で次々に痛打を浴びた。
foresight1974 2021.09.14
誰でも

(第5回のつづき)

では、上記参照文献の中から、離婚後共同親権に関連する討論部分を抜粋・要約してご紹介します。

【注記】
ここからの座談会の様子については、各先生の発言が非常に長いため、foresight1974の文責により要約したものをご紹介します。(【】内が発言者。敬称略。)
()内が要約部分で、特に何も記号を付していない箇所は正確に引用した部分です。
<>内はいわゆるト書きです。

1、共同親権は功利主義?

<座談会の場で、水野先生の報告についての討論に移ると、まず口を開いたのは、吉田克己北海道大学教授です。>

【吉田】
(水野案では、法律婚が相対化される。現行制度では、法律婚にある場合が共同親権であり、法律婚にない場合は、離婚後であれ非嫡出子のケースであれ、単独親権となる。このような考え方を改めて、離婚後についても非嫡出子についても共同親権となり、法律婚の相対化が現れている。)
私はこの基本的考え方に賛成ですが、細かな制度の組立てについては、いろいろ難しい問題があるように思います。例えば、非嫡出子の共同親権化に母の同意を要する、という点について、それは必要なのだろうと十分に理解することができますが、理論的にどのように正当化すべきかは、なかなか難しい問題です。

【水野】
母の同意を理論的にどのように正当化するのかという問題は、最初の総論でお話しした問題で、理論と功利主義(※1)の双方にスタンスを置いたから、という説明になります。確かに両親の平等な権利だという概念を理論的にどんえどん詰めていくと、母の同意の正当化は難しくなるだろうと思います...。親権の設計は、結局は子の福祉のためにもっともよい制度設計は何か、と模索する作業になるわけで、法理的な説明については柔軟なアプローチをとったということで、お答えに代えさせていただきたいと思います。
(中略)
こと子の問題をめぐりますと、話は別で、子は分けることができませんし、形式的に答えを出すこともできません。その子がお父さんを選んだから、お父さんに行くという決め方では、非常に危ないと思います。ここだけは、どうしても、裁判官の大きな裁量権を広げておかざるをえない領域でしょう。そして、自力救済には刑事罰などの厳しいサンクションを準備して、強制執行の実効力も担保しておいて、いわばその剣の脅しの下で、両親に話し合わせて解決を図るのが王道だろうと思います。

<なかなか強気な提案に思われるが、ここで内田貴東京大学教授が水野先生の前提を痛打する。>

【内田】
言葉の問題かもしれませんが、共同親権のところで、「功利主義的」という言葉を使われたのですが、功利主義というのは、何がウェルスであるか、ウェルフェアであるか、ユティリティーであるかということについて、一応合意ができるという仮定に立った上で、それを最大化する手段が最も望ましいという議論だと思います。共同親権、子どもの福祉という場合には、何が子どもの福祉か、何が子どもの幸福か自体が争われていて、つまり、どういう環境の下で育てられることが子どもにとって幸せなのかということ自体について異論があるのだと思います。そういう意味では功利主義という表現は自体を表現する上では、あまり正確ではないような気がするのです。
最初に道垣内さん(注:道垣内弘人東京大学教授)と吉田さんから家族モデルの議論が出されましたが、今まではもっぱら夫婦についてのモデルであったおに対して、ここでは、子どもの養育について、ある種のモデルが議論されているのだと思います。こういうモデルの下で子どもが育つのは、子どもにとって幸福なのだ、だから、それを最大化するためには共同親権がいい、という議論になるのです。
しかし、その議論をするためには、離婚後の男女の関係がどのようなものかについての認識が重要になってきます。そして、日本で従来共有されていたその点に関する認識の下では、離婚後の共同親権について必ずしも肯定的な見解が多くなかったのだと思います。(※2)そうだとすると、そこの認識を変えるべきだという主張も伴う必要があるのではないかと思います。その中で、水野さんなり、この委員会としての、育児のあるべきモデルみたいなものを議論する必要があるのではないかという気がしています。

【水野】
功利主義という言葉について、ベンサムなどの議論を前提にせず、いいかげんに使ってしまって、適当ではなかったかもしれません。親ならば必ず親権を持つのだという、理念的な結論とは違う、まさに何が子の福祉にとってよいのかというところの制度設計のアプローチだと申し上げたほうがよかったですね。
(離婚後共同親権に対する批判は)確かに理のある批判ですので、悩ましいのですが、親だから親権者であるべきだという理念のほかにも、方向性の判断、こちらの方向に動いていったほうがいいだろうという判断が、私にはあるのだろうと思います。離婚後、どちらかの親と完全に縁を絶ってしまうという形ではなく、夫と妻としては失敗したが、父と母としては協力し合えるという形で生きていくほうが子にとっていいでしょうし、また両親の間の子の奪い合いの熾烈な争いを緩和できるという意味でも、よりいいだろうという判断を持っています。
(中略)
ただ同時にこれは、DVや児童虐待をしていた親が、離婚後も、共同親権やさらに面接交渉権を武器として、子どもを楯に使う形で暴力的なアプローチをし、執着を示すパターンを上手に、きちんと排除した上で始まる話ですので、どちらもなかなか難しい問題ではあります。(司法の機能不全・貧弱さが)実務側からの最大の批判になるのではないかと思います。それに代わる案が思いつけばいいのですが、私には思いつくことができませんでした。何かお知恵を拝借できればと思います。

2、揺らぐ離婚後共同親権の実現性

<ここで角紀代恵立教大学教授がバッサリ。>

【角】
現在の日本の状況を前提にする限り、水野さんが離婚後の共同親権を提案される理由は十分に説得力を持っていないように感じました。離婚後も子どもがどちらかの親と完全に縁を切ってしまわないほうがいいという価値判断は、私も賛成です。しかし、そのための方法は共同親権に限られるものではないと思います。また、水野さんの発言にもあるように、離婚後の共同親権がうまく機能するか否かは、離婚後の夫婦のあり方、遡れば、夫婦のあり方に関わると思います。男と女として、やっていけなくなったから離婚するという土壌だったら、離婚後の共同親権は機能するでしょうが、よい悪いという問題ではなく、客観的に見て、日本は、このような状況から程遠いのではないでしょうか。

<ここでさらに山本敬三京都大学教授が別の視点からフォローする。>

【山本】
水野さんのお考えとは少し違うかもしれませんが、親だから必ず親権者になるという考え方が1つ考えられます。親である以上、子をどのように監護し、教育するかについては当然に権利がある。
その上で、この親の固有の権利は、子の福祉という親の権利そのものとは別の考慮からいわば外在的に制約を受ける。あるいは、子の福祉のほうがより重要な目的であって、親の権利もその枠内で行使できる。これが、おそらくごく一般的な理解の仕方ではないかと思います。
しかし、これが本当に親権概念についての適切な理解の仕方なのかどうかh、検討の余地があると思います。
まず、子自身に権利がある。つまり、子自身に、適切な監護を受け、適切な教育を受ける権利がある。ただ、未成熟の子自身は、この権利を実際に適切に実現してくことは難しい。そこで、未成熟子が持っているこのような権利を誰か信頼できる者に委ねる。これは一種の信託のはそうですが、そのような観点から親権をとらえ直していく構成は十分考えられますし、実際またそのような主張をされている方もいます。
この考え方によりますと、誰が子の権利を適切に実現できるのかという観点から、子の権利の受託者が決められるべきだということになります。今日お話に出ていたような離婚後の場合、あるいは非嫡出子の場合についても、共同親権にするほうがより適切に子の権利を実現できるだろうという判断が本当にできるのであれば、水野さんのご提案も正当化が容易になるのではないかと思います。

<ところが水野先生はこの提案を蹴る。>

【水野】
おっしゃるような子の権利からという説明の仕方は、確かに今までの話の中になかったわけですが、こういう説明をすると、私が先ほど功利主義的というあまり適当ではない言葉で説明した範囲を、理念的に説明できることになるかもしれません。ただ、これで貫けるかというと、やはり親権は親の権利だという側面もあると思いますので、これだけに全面的に寄りかかるわけにはいかないという気がいたします。

<ここで大村敦志東京大学教授から指摘が入る。>

【大村】
いまのことも少し絡むのですが、水野さんは裸の概念として「子の利益」というのを立てて、何が子の利益なのかということを直接に追究するという考え方をとっていないと思います。子の利益を図るのに、望ましいと思われる標準的な制度をセットして、そこから必要に応じて離れていくという発想で考えているのだと思うのです。その時の標準的な制度を示す言葉が水野さんの言う繭なのですが、その繭は何かという問題はあります。
さらに、そのことに絡むのかもしれませんが、条文素案M-8条の中には、請求権者に子どもが入っています。この点も非常に大きな態度決定だと思います。

【水野】
子どもは請求権者から除くほうがよいかもしれません。事実上18歳以上の子が親権解放を請求するイメージで考えていましたが、親の争いに子をまきこむ弊害を重視すべきであったと思います。

【山本】
権利や意思を尊重するという考え方でも、とりわけ未成熟子の問題に関しては、おなじように考えることはできないというのが一般的な考え方ではないかと思います。リベラリズムを前提にしましても、子どもの問題は同じようには考えられない。まさにそれがいま問われているのだろうと思います。子に権利があることを前提としつつ、子の意思にすべてを委ねるわけにはいかない。では、全部委ねるのか、それとも少しは委ねるのかということが問われてくるのではないでしょうか。この点についての考え方をある程度詰めておきませんと、なかなか具体的な規定も定めていけないように思います。

3、本当に「子の奪い合い紛争」が解決するのか

<ここで、窪田充見神戸大学教授から盲点を突かれる。>

【窪田】
比較的小さな問題かもしれませんが、裁判官が共同親権に介入するという問題について、現在だったら裁判官の数が絶対的に難しいという話なのではないかというご指摘がありました。しかし、それだけではなく、判断内容に関わる難しさがあるのではないかという気がします。
特に先ほど山本さんと大村さんの議論にも関係してくるのかという気もするのですが、子どもの権利を出発点で考えて、共同親権の内容について2人の調整ができない。そこで裁判官が入ってくれるときに、1つのやり方としては、裁判官はいわば第3番目の親権者として入ってくるというやり方だと、比較的自由裁量も説明しやすいということになると思います。
それに対して、両親がそれぞれに権利を持っている、権利間の調整であり、調停で解決するというイメージになってきたときに、何を基準にして、どのようにやっていくかというのは、そう簡単ではないと思いましたので、もし補足していただけたらと思います。
それともう1つ、よくわからなかったのは、共同親権にすることによって子の奪い合いの問題が解決するというのは、場合によっては逆になるのではないという気がしたものですから、この点、ご説明をしていただけたらと思います。

【水野】
子の奪い合いが自力救済に委ねられますと、暴力的に奪われる場面での被害はもちろん、奪われないように閉じ込めたりする虐待も生じますし、将来に備えて他方親の悪口を一生懸命吹き込んで育てるというのも深刻な精神的虐待です。単独親権になると、裁判官が既存の状態を追認して親権決定するので、子を実際に抱えている親の既得権化してしまいますから、自力救済が常態になります。興信所などを使った暴力的な奪い合いも、現にかなり生じています。この問題では、何しろ自力救済を封じるというのが、喫緊の第一の要請になるでしょう。(親への教育と国家の強制力の)両方が日本は不足しているという頭の痛い限界をかかえていますけれども、窪田さんのご質問は、その現状の限界を前提に、かえって逆になりかねないというご指摘で、その限りではある程度はそうかもしれないのですが、本筋に沿った解決を設計しておくほうが今後のためにはよいかと思います。
子の処遇についての最良の判断は、両親の誠実で冷静な話合いから生じるので、その話合いを実質的に確保できるように裁判官が加わる...子を抱えた親など強者の自己実現を追認するのではない枠組みを積極的に担保しつつ、調整を監視するというスタンスになるでしょうか。

議論は活かされたのか

この座談会の3年後、民法改正委員会家族法作業部会は、「ジュリスト」上において、第2次案を発表します。

<参照文献②>
「ジュリスト」1384号4頁以下(2009年)

<参照文献①>17頁以下に同様の掲載があり、こちらが前回のニュースレターでご紹介した、成果③のシンポジウム資料になります。

議論の成果はどのようにブラッシュアップされたのか。
水野論文(<参照文献①>119頁以下)に目を通してみたのですが。。。

唖然としました。ほとんど内容が変わっていないからです。

<次回>

【連載一覧】

【脚注】
※1 この功利主義という表現は、水野先生は報告パートで次のように説明されています。

私の案では、非嫡出子についても母の同意で共同親権とし、離婚後についても共同親権の方針を採用しています。先ほど述べました親権概念についての議論は、この点の構成が問題になりました。両方とも親だから必ず親権者になるという理念から制度設計をするのか、それとも子の福祉のために共同親権にしたほうがよいという、いわば功利主義的な説明から制度設計をするのかという対立です。離婚後も共同親権行使が可能な場合や、非嫡出子でも事実婚のような場合には、共同親権のほうがいいことは確かです。現行法のように、離婚をしたら必ず一方の親権がなくなったり、事実婚夫婦が共同親権行使ができないというほうが、むしろ説明が難しいと思います。
上記参照文献P.273~274
問題は共同親権の弊害に対して、どう対応するかです。親権を帰属させた上で一方の親権行使を制限するか、それとも、そもそも親権を帰属させない場合を認めるか、今回起草した立法提案は、親であれば共同親権が原則であるという理念と、功利的な判断、つまり、離婚後も共同親権のほうが望ましいという判断や、非嫡出子の場合は自動的に共同親権にしないほうがいいという判断の両方を根拠にしたものになっています。
同P.274

※2 内田教授の「肯定的な見解が多くなかった」という指摘は、どの部分を指したものかの脚注はありませんが、歴史的には、かつては、離婚後共同親権に否定的な見解が多数を占めていた時期がありました。参照:上村昌代「離婚後の子の養育に向けて 共同親権・共同監護をめぐる問題」現代社会研究科論集:京都女子大学大学院現代社会研究科紀要第6号46頁

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